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「社員の幸福」テーマにAI
日立が描く理想の職場

「社員の幸福」テーマにAI日立が描く理想の職場

 「コールセンターに勤務するオペレーターの幸福感を高めると受注率は34%向上した」「店員の配置を変えたら顧客単価が15%高まった」――。日立製作所の「幸福感(ハピネス)」を高める人工知能(AI)「Hitachi AI Technology/H(以下H)」は、大量のデータを分析しビジネスを改善する具体策を導き出してくれる。日立グループ内でも営業部門約600人のハピネスを高める実証実験を6月に開始した。なぜAIとハピネスが結びつくのか。同社でAI研究を統括している矢野和男氏に聞いた。

――Hの強みは何ですか。

 「汎用性です。これまでのAIは、問題ごとに個別のプログラムを人間がプログラムする必要がありました。パラメーター(変数)は機械学習で決められるのですが、プログラムの手間がかかるのです。問題ごとにプログラミングをしなくても、Hが自動的に大量のデータを分析し、目的の達成に関連する指標がどれかを示すのです。これが汎用性を持っているという意味です」

 「業績に直結する答えを出せる『アウトカム(目的)志向』というのもHの特徴です。入力した膨大なデータを分析し、100万個以上にわたるさまざまな仮説を作成して、その中から業務を改善するための要素を見つけ出すのです。この技術を『跳躍学習』と呼んでいます。そのほかにも、目的を得るためのアクション(指示)をつくり出せる、既存のシステムと組み合わせて利用できるという特徴もあります」

日立製作所研究開発グループ技師長兼人工知能ラボラトリ長の矢野和男氏

ある場所に立つと店が繁盛

――大量のデータから自分で学習するのは深層学習と似ていますが、Hの跳躍学習は違うのでしょうか。

 「全く違います。深層学習は『画像の中から猫などの形を見つけ出す』『音声から言葉を認識する』といったように、特定の種類のデータから特徴を見つけ出すのが得意な技術です。動画から不審者を探すなど一部の用途では実績を出し始めています。アルファ碁も、囲碁の盤面をわざわざ画像にしてから読み込ませて学習させたといわれています。深層学習は素晴らしい技術ですが、万能ではありません。いろんな異なる種類のデータを分析し、その中から問題解決の手段を探すという用途は苦手です」

Hの学習能力を示すレゴのロボットを使った実験。振り幅を最大にすることを目標に据えると、膝を屈伸させる方法を学習し、約5分でブランコをこげるようになったという

 「Hの跳躍学習を使えば、例えば店舗の例なら、過去の販売情報、店員と客の位置情報や運動量、商品の配置などさまざまなデータの関連を分析し、売り上げを高める方法を自動的に導き出すことができます。深層学習が第3次AIブームを生んだという記事がよくありますが、それはものすごく単純化した考え方で、AIの技術はそれだけではありません」

――Hの効果を示す例はありますか。

 「販売店での実験では、人間の流通コンサルタントと勝負させました。人間のコンサルタントは、店の従業員にヒアリングして『発光ダイオード(LED)ライトを目立つところに置きましょう』などのアドバイスを出しました。かたやHは、これまでの販売データや店員の位置情報などを分析して『入り口から奥に進んだ通路の一角に従業員が立っている時間を長くすると売り上げが高くなる』という結論を導き出しました。結果は、人間のアドバイスはまったく成果がなかったのに対して、Hのやり方で顧客単価が15%上がったのです。その店では顧客単価が15%上がれば、利益は2倍になります」

人間の動作を計測しAIで分析をするためのデータを取得するセンサー。首から下げて利用する

 「物流倉庫の実験では、小売店から入ってくる注文に対し、どのような順番で商品を取り出せば生産性を高められるかを調べました。アウトカムは1日の総作業時間を減らすことです。倉庫の業務システムと接続したHが出力する指示表に沿って、従業員には作業を進めてもらいます。当初は効率的になる部分もあれば、裏目になって非効率になる部分もあります。それでも、しばらく使い続けていくと、より環境変化に対応できる安定した指示を出せようになります。最終的には倉庫の生産性を8%上げることができました」

 「同様に、商品を販売するコールセンターの売り上げをどうやって上げるか、水プラントや鉄道のオペレーションをどう変えればコストが下がるかなど、多彩な分野でHを活用できます。囲碁に勝つだけじゃなくて、AIはもっと現実のビジネスで結果を出せるのです」

「幸福感」が成果指標

 矢野氏はビッグデータ研究に着手した10年前から、入浴以外の常時、自らの身体運動を記録するセンサーを左腕に取り付けてきた。センサーは1秒間に20回、動きの活発さを記録する。自分以外の被験者を含め、100万日分を超えるデータを分析することで見えてきたのは、人間のハピネスが測定できるという成果だった。

矢野氏は腕に装着しているセンサーで自らの身体運動を数年間にわたり計測している。こうした地道な研究がハピネスを計測する技術につながった

――ハピネスを測定することに、どういう意味があるのでしょうか。

 「人々のハピネスを高めることは、経済を大きく回すこと以上に社会的な価値があるのではないでしょうか。海外の学術論文によると、ハッピーな人は生産性が高く、昇進が早く、健康でもあります。ハッピーになることは21世紀の社会全体の生産性を高める、もっとも近道と我々は考えています」

 「組織を活性化させる指標としてハピネス度を利用すれば、経営者は従業員を幸せにするための投資をすることができるようになるわけです。そうすると結果にもつながってくる。我々の実験では、販売業務をするコールセンターで休憩時に会話を盛り上げるなどハピネス度を高めると、ハピネス度が低い日と比べて受注率は34%向上しました」

――ハピネス度は具体的にどう測定するのですか。

 「人間の行動には、継続性の揺らぎがあります。動き始めてすぐ止まるときもあれば、20分くらい動き続けることもあり、平均は10分くらいです。我々の実験で、行動の多様性と従業員からヒアリングしたハピネス度に強い相関関係があることが分かりました。ハッピーだという人が多い組織は、短い動きと長い動きがミックスしています。逆にアンハッピーな組織は10分前後の動きで固まっているのです」

 「特に、コールセンターのような人間相手の業務では、ハピネス度が重要な指標になります。どうしたらハッピーになるかをAIに判断させると、組織によって全く異なる結果が出てきます。上司がこまめに声がけしたほうがいいこともあれば、上司は口を出さずに早く帰った方がいい場合もあります。あまり業務の成果を出していないように見える人が実は組織を活気づける重要な役割を果たしていることもあります。結果が一律でないからこそ、AIを使う意味があるのです」

矢野氏は早稲田大学で物理学の修士課程を卒業後、1984年に日立製作所に入社。半導体分野の研究に従事したのち、ビッグデータやIoTの研究に取り組んだ

――AIが広がると「人間の仕事が奪われる」ことを懸念する声があります。

 「グーグルの『アルファ碁』が人間のプロ棋士に勝ったことでAIが人間を超えたと恐れる人がいるようですが、本当に恐れるべきなのはAIではなく、それを使っている人たちです。AIをツールとして活用し、まい進してくる人たちが脅威なのです。AIが勝つのではなくて、AIを使った人が勝っていくということです」

 「AIでどんな問題を解いたらいいのか、どういう設定でAIを活用すれば企業の収益や社会の幸せのために役立つのか。それらの課題を設計できる人が今後何百万人も必要になります。国内にシステムエンジニアやプログラマーと呼ばれる人たちは100万人ほどでしょうか。それらの人々も、リナックスやマイクロソフトのサーバーが扱うスキルではなく、AIを扱うことが求められるようになります。AIを使う人が急激に増え、ものすごい産業に発展するでしょう」

――今後は何を目指していきますか。

日立グループではHを試験導入し、従業員のハピネスを高める取り組みをしている。スマートフォンの画面に「○○さんと会話をしましょう」などとアドバイスを表示する

 「さまざまなリアルの業務データを持っている日立の優位性と、汎用性を持つHの強みを生かして、世界に打って出たいですね。日立がカバーしている多様な事業分野のデータは、米国勢にはそう簡単に手が届かない。グーグルにとって鉄道のデータを扱う意味はないかもしれませんが、こっちは大ありなわけです。バーチャルなネット上のデータは米国が強いですが、リアルなデータの分野では日立が強い。すべての分野で日本のAI研究が遅れていると論じるのは間違っています」

 「その先にある究極の目的として、人間のハピネス度を高められる社会を目指します。人間のハピネスは主観的なものであり、ちょっとしたことでがらっと変わります。だからこそ、効果的な投資になり得ます。会社に来るのが楽しみな社員ばかりになったら、競合他社にとって恐ろしい存在になりますよね。経営者に従業員のハピネスを高めるための投資をさせることが我々の使命だと考えています」

取材を終えて 日本人の働き方を変えるきっかけに
 日立製作所は、5月に発表した中期経営計画で、あらゆるモノがインターネットにつながるIoTを推進するため、AIの研究開発を進める方針を示した。その方針の中核となるAI技術がHだ。既に日本航空や三菱東京UFJ銀行など13社で導入しており、日立内でも製造、物流、鉄道、水プラントなどさまざまな事業分野でHを活用し始めている。
 日本は先進国の中で労働生産性が低いといわれる。日本生産性本部によると、経済協力開発機構(OECD)加盟34カ国中で日本の労働生産性は21位(2015年版)だ。一方で、日本人の仕事満足度は海外に比べて低いというという統計も多い。日本の場合、満足度の低さが労働生産性の低さにつながっている面もありそうだ。
 ひたすら収益や効率を高めるか、それとも従業員のハピネスを優先するか。日本企業はともするとこうした二者択一の考えに陥りがちだが、日立のAIは両立できることを示している。日本の成長戦略のヒントも案外、こんなところに隠れているかもしれない。
(コンテンツ編集部 松元英樹)[日経電子版2016年6月30日付]

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