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ニュースの見方(13)高校野球に
「地域密着」は必要だろうか?

ニュースの見方(13) 高校野球に「地域密着」は必要だろうか?
authored by 戸崎肇大妻女子大学教授・経済学者

 第98回全国高校野球選手権大会、いわゆる「夏の甲子園」の決勝戦が8月21日にあり、栃木の作新学院が南北海道の北海高校を破って54年ぶりの栄冠を勝ち取りました。

作新学院が優勝

 今年の大会は、リオデジャネイロ五輪の開催日程と重なってしまったために、残念ながらその注目度は例年に比べて低くなったようにも思われますが、それでも横浜高校や大阪の履正社などの好投手が話題となり、それなりに盛り上がったのは確かでしょう。

 筆者にとって今回優勝した作新学院といえば、真っ先に思い浮かぶのはプロ野球の巨人軍でも活躍し、今でも伝説的存在である江川卓さんです。

 江川さんは高校当時からずば抜けてすごい投手として非常に注目されていました。ちょうど、後の清原選手や松井選手のような存在です。それでも優勝には縁がなかったのは甲子園の難しさでしょう。

夏の甲子園決勝戦。4回表無死満塁、勝ち越し打を放つ作新学院の選手(8月21日)

 実は筆者は小学生の時、実際に作新学園の投手として江川さんが投げているのを春の甲子園で観戦していました。相手は広島商業。佃という投手を率いてこちらも伝統ある強豪校。筆者は、両親が広島出身であったため、広島商業の応援をしていました。結果は1-2で広島商業の勝ち。そのときは味方のエラーがらみの失点が決勝点になったのではないかと思います。その年、広島商業は春の選抜で準優勝、夏は優勝で非常に強いチームでしたので、この時の試合はまさに決勝戦と同じくらいのレベルの闘いだったのです。ちなみにこのゲームの様子は漫画としても発表されました。

地元出身選手が少ない?

 昨今の甲子園の出場校を見ると、筆者には正直ほとんど知らない高校の名前が多くなりました。いわゆる伝統校がかなり少なくなってきています。また、優勝する都道府県も以前とは違って多様化してきたように思います。

 筆者は大阪育ちですが、子供の頃は、大阪には全国的に見ても野球の強い高校が多く存在し、大阪大会で優勝すれば全国でも優勝できるというくらいのレベルの高さでした。確かに今でも履正社など、優勝候補に挙げられるほどの強いチームがありますが、当時と比べれば全国とのレベル差はかなり小さくなってきているのではないでしょうか。あまりにも激戦区であるがゆえに、甲子園を目指す高校球児たちにとってはむしろ敬遠したくなる地域となったのです。

 一方、高校の数が少なく、甲子園に出やすいといわれていた地域は、以前は競争が少ないがゆえに弱小であると言われたものでした。しかし、現在はむしろ甲子園を狙いやすいというところから、高校は優秀な選手を全国から集め、徹底的に強化した結果、優勝、あるいはそれに準じるような好成績を甲子園で収めるようなケースが増えてきています。また高校生の側も、それに応じて郷里を離れ、より条件のいいところで野球に専念することになります。このような高校にとっては、甲子園で自分のところのチームが活躍すれば、それだけ自高の存在を社会的にアピールでき、学生を集めやすくなり、学校経営の面でも有利になります。

優勝を決め、喜ぶ作新学院ナイン(8月21日)

 こうして、現在の甲子園の出場チームは一世代前とは全くといっていいほど様変わりしてきました。そうした中での作新学園の優勝は単なる古豪復活という意味以上のものを考えさせるものとなりました。

 こうした現状への批判の声も強く存在しています。今回の大会で非常に活躍したある高校に対しても、地元出身の選手の占める比率が極めて低く、地元の代表として応援できない、といった批判が寄せられ、当高校の生徒たちを悩ませています。

大学スポーツと違う事情

 大学の場合には、スポーツ面において全国から優秀な生徒を集めて好成績を収めようとすることに何ら社会的抵抗感はありません。大学は地域との密着性も重要ですが、そもそもその地域を代表するものではないからです。

 これに対して、高校野球の場合には、それぞれ、都道府県代表として甲子園に出場します。ですから応援する側も、そこには郷土出身の高校生が活躍することを願うのも自然な感情でしょう。これを高校側の生き残り戦略の中での商業主義の悪い面であると批判することはたやすいことです。

 しかし、甲子園に出たいという高校生の必死な思いもくみ取ってあげなければなりません。夢を果たすために住み慣れた郷土を離れ、親元を離れ生活することの困難さは、自分の身になって考えれば十分に想像できるものでしょう。

 それに若いうちに親元を離れて自立的な生活を送ることは教育上非常に望ましいことでもあります。英米のエリート校では全寮制での生活を強いる中で個々人の自立心を育成します。それに見知らぬ土地で生活することで自分を相対化し、広い視野をもつことも可能になります。そして、何よりもこうした人的交流を通じて、その高校がある地域も、他のいろんな他地域との交流の可能性も開けてくるでしょうし、それを活かした経済振興も図っていけるはずです。開かれた共同体こそが、今後の生き残り、発展のための重要な要件となっているのです。

リオ五輪の猫ひろしさんについて考える

リオ五輪の男子マラソンに出場し、力走するカンボジア代表の猫ひろしさん(代表撮影)

 リオ五輪でも、猫ひろしさんがカンボジアの代表として出場したことに批判がありました。このことも合わせて考えてみるといいと思います。

 猫さんは、一度は否定された代表権を再度獲得するために、本格的にカンボジア社会に溶け込もうとしました。カンボジアは、筆者も最近訪れましたが、日本人が定住するにはなかなか難しいところかもしれません。猫さんも完全な定住はしていないようです。しかし、カンボジアに対し様々な貢献をし、当地で受け入れられた結果が今回の出場になったのだと思います。その執念、思いは認めるべきでしょう。

 ましてや高校球児たちにとって、甲子園はまだまだ圧倒的な夢の舞台なのです。サッカー熱が高まっているとはいえ、甲子園の人気に及ぶものとは言えません。是非、そうした温かい目で高校球児の活躍を見守っていきたいと思います。

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