世の中は大抵、誰も悪くない
女子大生経営者として学んだこと(2)
今回は仕事や私生活でミスがあった時の向き合い方について話してみたいと思います。世の中の、何か大きな一歩を踏み出せない人の多くは、ミスが怖くて踏み出せないだけなんじゃないかな、と思っています。例えばミスが起きた時に、誰かとの関係が悪くなってしまうのが怖かったり、自己嫌悪に陥るのが怖かったり。
私が経営者として仕事をしている中で気づいたことがあります。色々なミスはあるけども、「世の中、大抵誰も悪くない」ということです。仕事をしていると、様々なミスに毎日出合います。自分の近くであることも、スタッフの近くであることもあります。感情的になると、ミスの原因はミスの近くにいた人ではないかと思ってしまい、その人を責めたくなってしまいます。しかし、冷静にミスが起きた原因を分析してみると、ほとんどのミスはタイミングの問題だったり、流れの問題だったりだということを感じます。
突然いなくなったマネージャー
昨年、仕事を任せていた人に突然蒸発されたことがありました。マネージャー業など、本人が「私に任せて!」と言ったことだったので任せていました。しかし、ある時からSNSや私のいないところでは、私の愚痴ばかりこぼすようになりました。人づてに聞いていたのですが、主に私から受けた仕事に対して「何でこんな仕事しなきゃいけないんだ!」といったような感じです。
そして、ある日糸が切れたかのように、仕事の連絡も途中、弊社宛の請求書も持ったまま、突然「もう連絡しないでください、あなたのことなど考えたくもない」と言って全てを放棄されました。取引先とのメールも引継ぎせずに連絡が取れなくなったため、自分がその後処理をしようにも内容が理解できずに時間がかかりました。その解決まで2~3週間くらい仕事も取引もごちゃごちゃになってしまいました。
当時は「なんて酷い人間だったんだ」と感情的になっていました。しかし、少し時間が経ってから考え直すと、単にうちの仕事とその人の相性が悪く、それを他の人に言えない性格だっただけなのだなあ、と思うことができました。辞めた後だったので後の祭りだったのですが。「できないことやミスがあること=その人の人格の問題」という安直な考え方はしちゃいけない。分かっていてもしてしまいがちなものなので、今でも心に留めています。きっと、そういった考え方ができなかったら、いまだに日々の失敗を人のせいにしてイライラするばかりだっただろうな、と思います。
相性の良し悪しで人を評価するのは無意味
この話を発展させてさらに踏み込めば、「好き嫌い」「良い悪い」という話にもできます。それは相性の話であって、「嫌い=相手が酷い・悪い」ということではないということです。いくら性格が良くて素晴らしい人でも、自分に合わない人は一定数います。無理してそうした人と付き合う必要もありません。無論、相性の良し悪しだけでその人自身を評価したり判断したりするのは最も意味がないと思っています。
高校生時代のことを思い返すと、どうしても相性の悪い女子が学年で10人くらいはいました。しかも、そういう人に限ってみんなから人気者だったりしたことも。だからこそ、「なんであんなに性格が悪いのに人気なのだろう、ありえない!」と思ったり、「人気のある人と上手くやれないってことは、自分がダメなだけなんじゃないだろうか?」と自分が嫌になったりした時期もありました。今考えると、「きっと自分との相性が悪いだけだった」と納得することができます。
やはり仕事や生活の中で一番大変なことって「人間関係」だなあと再実感します。理由は明快で、人間関係というものは複数の人間があってできるもので、しかも私は相手のことを操作することができない。だからこそ、大抵は思った通りにいかないからです。昔の私は相手を操作して自分の良いようにすることが正しいと思っていました。
相手を変えるのではなく自分を変える
今は、相手自身のあり方を変えようとせず認める。どうしても改善しなければならない時には、相手を変えるのではなく自分のポジションやあり方を変えることが一番良い解決策かな、と思っています。
「自分の思い描く理想のスタッフ像」に「実際のスタッフ」近づけようと、「実際のスタッフ」を変えようと尽力することは、スタッフ本人も理想像を押し付けられ、変化を強要されてストレスになります。経営者側もなかなか変わってくれないスタッフにイライラします。これ、仕事での話だからパッとしないかもしれませんが「理想の彼女像」を押し付け、そうなることを強要してくる彼氏ってすごくストレスじゃないですか?きっと、押し付けている彼氏側も、うまくいかなくてイライラしているはずですが、それと同じことです。
それよりも、本人の変化や成長は本人に任せ、ちょっと上手くいかないという場合は相手を変えようとするのでなく、自分がそのスタッフの現状に合わせ寄り添うという形の方が双方的にストレスが少ないなと思います。そんなに、人にばかり合わせていたらアイデンティティが......! みたいなことを懸念する人もいるかもしれないですが、私がしたいのはそんな大事ではなく、ただ相手との接地点を調整するだけという話です。
これは仕事以外にも通じる話で、さっき言ったように恋人との付き合い方、家族との付き合い方もそうではないでしょうか。自分の理想を取っ払い素直に目の前の事実に感謝して、うまくいかない場合は相手を変えるのでなく自分の融通を効かせると、意外に人間関係ってシンプルになっていくなと思います。実際、私は最近そうすることで20年来仲の悪かった実家と付き合うことができるようになってきました。
過剰な期待はしないこと
もともと私はいじめられっ子で、人との関係を築くのがすごく苦手でした。
中学に入っても「自分は恵まれてない」「なぜこうしてほしいのにできないないの」と文句ばかり自分の中に溜めていました。でも、今思い返してみれば、ただ「自分のこうあってほしい像」を押しつけているだけだったのかもしれません。
「こうするだろう」という予想(期待)をすればするほど、いくら良い行いをされてもそれと懸け離れた行いをされた時には「ショックで裏切られた、ひどい」という気持ちになってしまいます。そういった、コントロールできない相手に対しての予想(期待)みたいなものが、自分の中学生時代には足かせとなって、人との付き合いにおいて絶望することが多かったのではないかと思います。
普段から何かと「期待」と称して相手にこう行動してほしいと予想している人は多いと思います。例えば、自分の期待と違うデート先だったとか、友人とのお出かけだったとか。でも、それぞれ相手としてはベストを尽くしてくれたのかもしれません。こうしてほしかったという色眼鏡なしだったら、もっと純粋に楽しめたかもしれません。
私はそういった過剰な期待で、学生時代にひがんで妬んで損をしてきました。もし、読者さんの中でもちょっと思い当たる人がいたら、もう一回純粋な気持ちで相手に向き合ってみてほしいなあと思います。そんなことで恋人や友人、仕事仲間をなくすのはもったいないよ!
次回はSNSとの付き合い方について話します。次回もぜひチェックしてください!
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