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[ liberal arts-大学生の常識 ]

無人の自動運転レース開幕
命守る技術結集

無人の自動運転レース開幕命守る技術結集

 世界のヒト・モノ・カネが猛スピードで人工知能(AI)の分野に流れ始めた。企業がソフトウエアやコンピューターでビジネスを変革する大競争の幕開けだ。AIといかに共存するかという新たな問題も提起されている。企業、産業、暮らしはどう変わるのか、最前線を追う。

 シグナルが緑に変わった瞬間、レーシングカーが一斉にアクセルを踏んだ。最高時速は300キロメートルを超す。電気自動車レース、フォーミュラEの都市をぬうようなサーキット。ライバルにぶつかるな、コーナーは速度を落とせ。一番速くて、優秀なドライバーは俺だ。

 2017年中に計画されているフォーミュラEの前座「ロボレース」は、自動車レースの歴史を塗り替える。ドライバーが人間でなく、AIなのだ。走る、曲がる、止まる。これらの粋を競ってきた世界最高峰のトラックで、勝敗を分けるのはアルゴリズム。10チームが参戦、優勝すればプログラマーが表彰される。

 「これは知性を競うレースだ」。企画した英国のベンチャーキャピタル、キネティックのデニス・スフェルドロフ最高経営責任者(CEO)は自動車のイノベーションを加速させる役割を自任する。スフェルドロフ氏はロシアの通信事業者ヨタでCEOを経験し、表裏両方に画面があるスマートフォンをつくった。

 「ホンダやソフトバンクのような企業に参戦してほしい」。8月に来日、企業を回った。手を挙げる世界の自動車、IT(情報技術)、ソフトの企業や研究機関は100を超える。大会の運営関係者は「日本から1チームは選びたい」と話す。

1秒24兆回計算

 各チームにデザインと機能の同じ電気自動車が渡される。コーナーでどうぶつからないようにするか、いつスピードをあげるか。レーザーや超音波のセンサー情報をどう活用するか。判断のパターンを自ら発見する深層学習などの技術を使い、各チームが運転のアルゴリズムを開発する。

 アルゴリズムは1秒間に24兆回計算するスーパーコンピューター「ドライブPX2」の上で動く。半導体メーカーの米エヌビディアが提供する。

 PX2は弁当箱2つのサイズ。そこに、20年前ならテニスコート5面分の大型コンピューターが必要だった計算能力が詰まっている。独フォルクス・ワーゲンや米ゼネラルモーターズなど80社で使われ、自動運転研究の根幹を握っている。

 エヌビディアは他にも様々なAI用コンピューターを開発した。ダニー・シャピーロ・シニアディレクターは急増する需要を肌で感じ「AIがあらゆる産業の未来を変えていく」と確信する。

 米電気自動車メーカー、テスラモーターズのイーロン・マスクCEOは物理学者スティーブン・ホーキング氏らと15年、AI研究は人間に有益なものにすべきとする意見をまとめた。今年5月、世界で初めて起きた自動運転モードでの死亡事故がテスラ車になったのは痛恨だった。

 それでも自動車メーカーの多くは、人間より計算の速いコンピューターが判断能力も備えれば、世界で年125万人に及ぶ交通事故の死者を減らせると考える。事故の9割は人間の運転ミスだ。

 「事故ゼロを目指す」。トヨタ自動車の豊田章男社長は16年1月、米カリフォルニア州にAIの研究所を設立、5年間で10億ドル(約1030億円)投じる。自動運転は米グーグルや中国・百度などインターネット企業が参入し、提携が急速に増えている。独ボルボと8月提携した配車アプリの米ウーバーテクノロジーズなど、多くのグローバル企業がロボレースに関心を持ちそうだ。

 ▼人工知能
 AIはアーティフィシャル・インテリジェンスの略。コンピューターを使った計算の方法であるアルゴリズムの技術を指す。あらゆるモノがインターネットにつながるIoTはデータを集める目、AIは目からの情報を扱う脳と位置づけられている。1956年に米国で科学者がAIという表現を使い始めた。
 深層学習はAI最大の革新とされる。米グーグルのソフト「アルファ碁」が棋士に勝利するなど、限定した分野で人間に勝る能力を発揮している。科学者で発明家のレイ・カーツワイル氏は05年、AIが自ら人間より賢いAIを作り始めるシンギュラリティー(技術的特異点)が45年におとずれると主張し、議論を巻き起こした。

がん発見 わずか10分

 人間にとって命は最も大きな関心事だ。ビジネスチャンスは大きい。米IBMはいち早く資金と人材を振り向けた。AI搭載コンピューター、ワトソンの事業化へ14年に10億ドルの投資を決め、2000人で売上高100億ドルを目指している。

 「がんの原因を見つけるスピードは人間とケタ違い」。東京大学先端医療研究センター(東京・港)の東條有伸教授は今、ワトソン導入の高い効果を実感している。

 わずか10分。ワトソンに患者の遺伝子情報を入れると、がんに関係する可能性が高い順に変異をリストにする。薬の提案もする。今夏まで1年で100検体を分析した。


ワトソン、論文2000万件読破

 ワトソンは膨大なデータを読み込み、事柄の関係を見極める能力を持つ。医学分野の論文は2000万件読んだ。意外な見解を示すわけではない。がんの原因である遺伝子変異を見つけて治療の標的を絞り込むには、これまで文献や遺伝子データベースの調査に2週間要したが、それが不要になる。進行の速い白血病や悪性リンパ腫の患者にとって意義が大きい。

 医療の新しい論文は年に何十万件も発表される。ただ、優秀な医師も200件しか読めない。AIがサポートすれば、より多くの患者をじっくり診る「本来の仕事に戻れる」と東條教授は語る。

 富士通の田中達也社長は「暮らしや考え方が大きく変わる歴史の転換点にある」と断言する。20万年ほど前に人類が登場して、転換点は3度訪れた。農耕社会への進化、産業革命、コンピューターやインターネットの登場。4度目はAIを中心とするデジタル革命だ。

 コンピューターの中核をなすCPU(中央演算処理装置)の能力は40年で3500倍になった。スマートフォンなどネットにつながる機器が膨大になり、ビッグデータが生まれた。「AI実用化の条件がそろった」。三菱総合研究所の事業開発部門統括室、比屋根一雄副室長はこう話す。

 比屋根氏はバブル景気に沸く1980年代、人の知能を超えるコンピューターの実現を目指す570億円の国家プロジェクトにかかわった。だが計算能力がまだ低く、データもなかった。その経験から今回は本物だと考えている。AIは世界に散らばる情報のとりまとめ役を果たしつつある。

 EY総合研究所(東京・千代田)がはじいた30年のAI関連産業の市場規模は15年の20倍を超す87兆円。変化に取り残されるのではないか。異業種企業に乗っ取られてしまうかもしれない――。焦りも入り交じり、企業が人と資金を注ぎ込む。誰がトレンドをつくるのか。大競争が始まった。
(竹居智久)[日経産業新聞から転載、日経電子版2016年9月24日付]

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