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アジア人は私だけ~米大学留学記(1)米南部の女子大で「テロ」を学びたい

渡邊知彩杜 authored by 渡邊知彩杜
アジア人は私だけ~米大学留学記(1) 米南部の女子大で「テロ」を学びたい

 初めまして、渡邊知彩杜と申します。津田塾大学の4年生で、現在アメリカに1年間の留学中です。突然ですが、皆さんはアメリカに「黒人大学」と呼ばれる大学があるのをご存知ですか? 正確には「歴史的黒人大学」(Historically Black Colleges & Universities)といい、現地では英語の頭文字をとってHBCUと呼ばれています。

 HBCUは読んで字の如く、歴史的に差別と抑圧の対象となっていた黒人に高等教育の機会を与えるためにつくられた大学群です。現在は制度上すべての人種に門戸が開かれていますが、それでもアフリカ系アメリカ人が学生の殆どを占めています。

アジア人は1人だけ

 私は現在、ジョージア州アトランタにあるHBCUのひとつ、スペルマン大学(Spelman College)という女子大で政治学とテロリズムを学んでいます。スペルマンはHBCUの全米ランキングで1位、全米女子大学ランキングでも8位にランクインしており、1881年の創立以来、国内外に黒人女性のリーダーを輩出し続けています。

 著名な卒業生には『カラーパープル』のアリス・ウォーカーをはじめとし、学術から芸術まで、様々な分野で「黒人女性初」という称号を得ている方が多くいます。現在は学生の約95%がアフリカ系アメリカ人であり、数少ない留学生もほとんどがアフリカ・カリブ海諸国の出身者。日本、もといアジアからの留学生は、私ただ1人です。

 これからこの連載を通して、ただ1人のアジア人として黒人大学で学ぶ中で感じたこと・考えたこと、そして黒人コミュニティの内側から見た、現代のアメリカ社会の姿を私なりの視点からお伝えできればと思います。

日本語クラスの学生と

 まずはそもそも私がなぜ政治学とテロを黒人大学で学ぼうと思ったのか、私の自己紹介から始めたいと思います。私は、一言でいえば、半年前までいわゆる「純ジャパ」でした。宮城県出身で、小さいころから特別に英語を習っていたとか、国際交流をする機会があったわけでもなく、普通に地元の小中を卒業し、若干、いやだいぶ落ちこぼれ気味でしたが普通に高校に通っていました。海外に出たことは生まれてから21年間一度もありませんでした(ちなみに、家族の中でパスポートを持っているのは未だに私だけです)。

 ただ、海外に対する漠然とした憧れはずっと持っていたと思います。特に、小さいころから世界遺産が大好きで、写真付きの百科事典を何度も見返しては、いつか自分がそこに行くことを夢見ていました。が、特に何か行動を起こすということもなく、稼げる職についてたくさん海外旅行したいなあなどと考えながら暮らしていました。


東日本大震災が転機に

 そんな私にとっての転機は東日本大震災でした。2011年当時、私はちょうど高校1年を終えたばかりで、仙台の実家で被災しました。幸い、私の実家は内陸部にあったので津波の被害は受けませんでしたが、海岸沿いに住んでいた親戚の多くが亡くなり、家を失いました。

 地震発生から数日経って電気が復旧し、テレビで初めてあの津波の光景を目にしたとき、全身の力が抜けていく感じがしました。自分のつい目と鼻の先で人が死んでいっているのに、自分はどうして、こうやってただテレビを見ていることしかできないのか。自分はなんてちっぽけで、なんて無力な人間なんだと思いました。

 そんな中、警察官である父は震災直後から行方不明者の捜索・復旧活動に従事していました。地震発生から1カ月は、ほぼ家に帰ってきませんでしたが、深夜、荷物を取りに少しだけ家に寄った父の、疲れ切ったような、思いつめたような、それでいて静かに使命に燃えるような横顔はいまだに忘れられません。父の姿を見て、自分も人を助けたい、皆がかけがえのない日常を失うことのないように、人を守るための勉強をしたい、と考えるようになりました。

 ここで、普通であれば地震のメカニズムとか災害復興とかを学ぼうと考えるのかもしれませんが、私は正直、震災のショックもありましたし、大自然の圧倒的な力に対し、自分が何かできるとは到底思えませんでした。また、何かが起こった後いかに被害を減らすか・復興するかよりも、そもそも人が理不尽に命や生活を失うという状況自体を減らしたいと考え、漠然と人間が起こす犯罪に目を向け始めました。

これまでスペルマンで学んだ学生の出身国の国旗。アフリカ、カリブ海諸国からの留学生が大半を占めるため、見慣れないデザインが並ぶ

「純日本人」が留学するまで

 大学入学後、自分が貢献できる領域は何かと模索していた頃、たまたま社会学の授業で森達也監督の「A」という映画を鑑賞しました。Aは地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の信者たちに密着取材をしたドキュメンタリーで、事件後も麻原彰晃の教えを忠実に守る信者たちの「日常生活」が映し出された、かなり衝撃的な映画でした。

 そこで、テロという犯罪の複雑さに興味をひかれ、また、これからの国際社会においても更なる知見が必要とされている領域ではないかと考え、テロ対策を専門に学ぶことに決めました。留学を本格的に志したのもその頃です。国際政治の中心であり、9.11以降「テロとの戦い」を繰り広げてきたアメリカで学びたいと思い、(資金がなかったので)交換留学の提携校を調べる中で、スペルマンに出会いました。

 正直に言って、私はそこまで黒人文化に特別な興味があるとか、黒人の友達がいたとかいうわけではなく、人種問題にはむしろ関心はあまりなかったと思います。というより、そもそも人種を意識したことがなかった、というほうが正しいかもしれません。そして、一見矛盾しているようですが、これこそが私がスペルマンを留学先に選んだ最も大きな理由です。

 スペルマンの存在を知った時、もし、常に社会の中でマジョリティであり続けてきた自分が黒人コミュニティの中でマイノリティになったら、何を感じるのか?という疑問が浮かんできました。なぜなら私はこれまでの人生において、自分が日本人だから、日本語を話すから、黄色人種だから、実生活で不利益を被ったことが一度もなかったからです。

 これまでずっと、自分の周りにいる人々が当たり前に同じ髪の色、同じ目の色をしている世界で生きてきた「純日本人」が、たった1人で違う人種のコミュニティに飛び込んだら、いったい何が起こるのか、興味がわいてきたのです。

 また、HBCUという場所は専門であるテロを学ぶ上でも、非常に面白い場所だと思いました。私は、テロの多くは本質的に「違い」をうまく受け入れられないことに起因するものではないかと考えています。そして、黒人社会はアメリカにおいて「違い」が原因で数えきれないほどの困難を経験してきました。

 HBCUでの留学生活の中で人との「違い」を自分の実体験を通して考えることは、テロという現象を多面的に理解することにもつながるのではないかと考え、スペルマンへの留学を決めました。

 次回はHBCUでの実際の生活をテーマに、どんな学生がスペルマンで学んでいるのか、HBCU伝統の仰天(!?)オリエンテーションについて書きたいと思います。

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