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文系こそ統計を学べ
第4次産業革命の主役に

文系こそ統計を学べ第4次産業革命の主役に

 これから起きようとする新しい情報技術革命の背景にはデータサイエンスの発展がある。かつて日本は世界に先駆ける統計教育の先進国だったが、今は後れを取っている。日本の統計教育はこれまでどんな変遷をたどり、これからどうかわるのか。この分野の第一人者の一人、渡辺美智子・慶応義塾大学大学院教授に聞いた。

データにはばらつきがあることすら教わっていない世代も

 ――統計学を教育課程で教える重要性を長年、主張されていますね。

 「人工知能(AI)や、あらゆるモノがインターネットにつながるIoT事業など、データ中心の産業・社会の大変革が大きな話題だが、この変革を担う人材が日本では不足している。グーグルの元最高経営責任者(CEO)のエリック・シュミットは『ビッグデータから価値を生み出すのは統計家の力だ』と言っている。米欧や中国などでは1990年代から、身近な具体的課題をデータに基づき主体的に解決する能力の育成に、教育のかじを切った。その上で2010年以降は、コンピューターサイエンスと応用統計科学を融合したデータサイエンスの教育、研究を高等学校レベルから大学の段階で強化してきた」

渡辺美智子・慶応義塾大学教授

 「日本では現在の学習指導要領に改訂時(2008年)に統計教育が復活した。日本統計学会などが改訂にあたって統計教育の見直しを文部科学省に求めたのも一因だ。それまでは、小学校で平均値について学んだだけで、中央値もヒストグラム(データの分布を示す柱状グラフ)も学ばなかった。データにはばらつきがあるということすら理解しない程度のリテラシーで就職する人もまれではなかったろう。ただ学習指導要領が変わったと言っても、教育現場では統計を教えた経験のある先生は少なく、大学入試でも統計は出題しないと公言する大学もあって、現状はなかなか変わらなかった」

20年の指導要領改訂、国語や社会でもデータの読み方

 ――現在議論が進んでいる20年の改訂では、どうなりますか。

 「今度は統計教育が大きく取り入れられることになるはずだ。算数・数学だけでなく、国語や社会などの教科でもデータを読むことを学ぶ。文科省が4月にまとめた『第4次産業革命に向けた人材育成総合イニシアチブ』でもプログラミング教育と並んで統計教育重視の考え方が打ち出された」

中学生向けの統計教育の新教材は実際の統計データを用いて学ぶことを促している。

 「統計教育に関しては総務省も前面に出る。09年に施行された新統計法は、公的統計を国民が共有する『社会の情報基盤』と位置づけ、国民の統計リテラシーの向上につながる教育が大切だとした。学校での実践的な統計教育のため教材の作成や先生方の研修などに力を入れていく方針だという。今年、教材として『生徒のための統計活用~基礎編』と先生向けの指導書を出版した。産業や気象など現実のデータを素材に統計の使い方を教える内容だ」

 ――実践的な教材づくりは確かに重要ですし統計教育の必要性も理解できますが、それでも教育現場にとって重荷にはなりませんか。

 「全国のすべての学校であまねく、とはなかなかいかないだろう。スーパーサイエンスハイスクールやスーパーグローバルハイスクールなど先進的な取り組みをしている学校から広がっていくのではないか。大学入試センター試験の数学1でも今年ようやく、家計調査を題材にした統計の問題が出た。模擬試験を実施している教育関連企業の方がこの出題を目にして相談に来た。受験産業は政府の方針変更に敏感に反応しているようにみえる」

日本の統計教育、発祥の地は新潟

 ――日本の統計教育は第2次世界大戦後に大きな高まりがあったと聞きます。

新潟県の統計教育研究発表会の模様を伝える資料(新潟県統計課「県の黎明」から)

 「今春、統計教育に関する会合で、新潟県統計課の南雲裕介さんが興味深い話題を発表された。統計教育の発祥の地は新潟県だという。日本の統計教育の契機は、1946年に連合国最高司令部(GHQ)などの要請で米国から日本に派遣された教育使節団(通称ライス使節団)の報告とされる。使節団を送った米国にも、迎え入れた日本の側にもそのころは『無謀な戦争は2度としたくない』『事実をもとに客観的な判断するため国民が統計的な認識・理解を深めることが、民主主義を確立する基礎にある』という思いがあったそうだ」

 「報告を契機に日本政府は公的な統計整備や統計教育に乗り出したが、新潟県では早くも47年に『統計普及の一大国民運動を起こす』として、独自の『統計指定学校制度』を設けて小中学校での統計教育に力を入れ始めた。さらに子どもたちがデータを集めてグラフをつくり研究発表会を開いていたそうだ。これは現在の『統計グラフ全国コンクール』の先駆けとなるものといえる。発表内容をみると、驚いたことに長岡市の小学校6年生がそのころ流行していた赤痢の発生状況を調べ、ハエの繁殖や上下水道の復旧状況などと比較し、ハエ取りや川の清掃などを対策として提言している」

 ――スチュアート・ライス博士(当時の米政府統計基準部長)を団長とした使節団には、品質管理(QC)で知られるエドワーズ・デミング博士も参加していたそうですね。

 「デミング博士は日本の産業界の復興を助けたいと、経営者の人たちを集めて標本調査の設計法などを講義された。それがQC活動として日本の製造業に広がり、高い品質が日本の製造業の競争力の源泉になった。デミング博士の教えを体系的に取り入れたのは米国ではなく、日本の産業界だった」

 「80年代に日本との競争で苦境に立たされた米国では『日本にできて、なぜ米国にできないのか』という反省にたって、日本の製造業から学び、米国独自の取り組みを発展させた。日本では工場で働く人たちが自ら統計的手法を勉強し、電卓をたたいて(統計的品質管理に必要な)管理図を作成していた。米国ではそれが難しかったので、数値だけ入れれば結果が導き出せるソフトウエアがたくさん開発され現場で活用されるようになった」

 「さらに米国では製造現場だけではなく、オフィスでの仕事や経営、医療、行政など社会のあらゆる場所で、データに基づく意思決定が普及した。ひとつの契機になったのが92年に発表された国家戦略の『SCANS(スキャンズ)報告』だ。米国の競争力を高めるうえで教育が抱える様々な課題を産業界や学界が指摘、専門知識や専門技能(ハードスキル)を教えることから、問題を見つけ解決する能力やコミュニケーションの力などソフトスキルを重視した教育への転換が始まった。統計教育はその一環で教育課程に積極的に取り込まれていった」

製造業以外に広がらなかったデータによる問題解決

 ――日本ではデータをもとにした問題解決の考え方は製造業の外には広がらなかった。

 「製造業のQC活動は大きな成功を収めたのだが、工場内にとどまった。企業では統計的な品質管理について社内研修で教えることが当たり前になったため、学校教育で統計を学んでもらう必要を感じていなかった。学校教育も実践的な統計学より、伝統的な数学を教えることに熱心だった。ジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれた80年代までには統計教育への熱が冷めて、学習指導要領からも消えていった」

 「それがまた変わり始めるのは、21世紀に入ってからだ。長引く経済の低迷の下、コミュニケーション能力などソフトスキル(21世紀型スキルとも呼ばれる)の必要性が日本の産業界や政府でも認識されるようになった。2006年に経済産業省は『社会人基礎力』としてそれらを明示した。今度は日本が米国から学んだ形だ」

 ――ソフトスキル重視の声はよく耳にしますが、専門教育重視の流れはなかなか変わらないようにも感じます。

 「慶応大学の村井純教授らが中心となって発足させた『データビジネス創造コンテスト』の第1回(2014年)で印象に残ったことがある。このコンテストはビッグデータから価値の創出(社会課題解決の方策発見)を競うもので、第1回はツイッターのつぶやきをどう使うかが課題だった。並み居る理工系の研究者を出し抜いて最優秀賞を得たのは長野県立屋代高校の生徒たちで、花粉症患者のつぶやきから症状緩和や花粉飛散予測の改善について提案した。また優秀賞は私の学科(健康マネジメント研究科)の看護系の学生たちだった」

 「データから価値を生み、ビジネスを創造するのは、理系の専門知識より、課題がある現場で働く文系の目線が大事だ。文系の人たちは数学が弱いとか苦手とか言うが、それは問題ではない。高校生では高度な統計処理はできないとの指摘もあるが、データの分析は難しい理論を知らなくても、今やツール(ソフト)があればできる。何をしたいのか、何をすべきなのかを知っていることが大事なのだ」

<取材を終えて> 米国のビッグデータ革命につながる日本のQC活動
 新聞記者になって最初に担当したのは自動車産業だった。自動車を組み立てる大きな工場でも部品をつくる中小の工場でもほとんど必ず「QCサークル」と呼ばれる小集団活動があった。工程での改善点を探し出し改良する活動を取材した。80年代にはこの改善活動が日本の製造業の品質を支える大黒柱で海外企業は「KAIZEN」と呼んで、これを学んだ。その背景に学校や職場での統計教育があったことは最近まで知らなかった。

 日本から学んだ手法を「P(計画)D(実行)C(評価)A(改善)」サイクルとして体系化し工場の外の世界にも汎化したのが米国だった。米国の起業家の著作「リーン・スタートアップ」などを読むと、米国がいかに真摯にトヨタ自動車の管理手法から学んだかがわかる。その結果がIT(情報技術)やビッグデータの革命につながっていることを思い起こせばと、まさに「禍福はあざなえる縄のごとし」だ。日本はようやく初等教育から大学まで統計学やデータサイエンス教育の強化に乗り出した。失敗から学び、データに基づき修正し、改善を続ける。政策レベルでもこうしたサイクルを回すことが大事だ。

 渡辺さんの話に登場する新潟県の南雲さんは、県立高校の教師で15年から県庁統計課に配属になって、学校に出向いて出前授業をするなど統計教育の普及のため働いている。その効果があったのか、出前授業をした上越市立春日小学校の児童が全国コンクールで「特選・文部大臣賞」を受賞したそうだ。

(編集委員 滝順一)[日経電子版2016年10月24日付]

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