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[ liberal arts-大学生の常識 ]

消去法でトランプ氏、
「バイブルベルト」の苦悩

消去法でトランプ氏、<br />「バイブルベルト」の苦悩

 ドナルド・トランプ氏を次期米大統領に選んだ主役は、米北部の工業地帯「ラスト(さびた)ベルト」の白人労働者だけではない。米南部から中西部に伸びるキリスト教保守派の影響力が強い地域「バイブル(聖書)ベルト」の支援も大きかった。だが敬虔(けいけん)な彼らにとってトランプ氏支持は究極の選択だった。

「両候補とも邪悪」悩ましい選挙

 草原の中、小ぎれいな住宅が点在するケンタッキー州北部。白人の保守層が多い同州は共和党の牙城として知られる。大統領選でも開票後早々にトランプ氏の勝利が決まった。だが、ここで米国の選挙で重要な人気のバロメーターであるトランプ氏を応援する看板を見つけるのは難しい。トランプ現象の熱狂はここにはない。

 草原の中を南北に走る国道75号を人口わずか4千人のウィリアムズタウンで下りると、突然巨大な木の塊が現れる。高さ15メートル、幅26メートル、長さ155メートルの巨大な「箱舟」だ。キリスト教原理主義の米団体「アンサーズ・イン・ジェネシス(創世記の中に答え)」が建設し、今年7月から一般に公開されている。

 訪問者の大半は高齢の白人だ。柔和な表情を浮かべ、修学旅行のようにはしゃぎながらこの新たな聖地を存分に楽しんでいる。

 大統領選当日の8日、夫婦でこの新施設の「巡礼」に参加したキリスト教保守派のキャロル・ジョンストンさん(68)が期日前に投票したのはトランプ氏だ。選挙区は激戦州のノース・カロライナ。バイブルベルトの東の端で、ここでも勝利を収めたのはトランプ氏だった。

 「トランプに賛同できない点は多々ある。だが、中絶に賛成するヒラリーに投票することはできない」と断言する。夫のジェリーさん(71)も「宗教上の理由」で消極的ながらトランプ氏を選んだ。

キリスト教保守派が建設した巨大な箱舟を訪れたジョンストン夫妻(ケンタッキー州ウィリアムズタウン)

 トランプ氏は「教会には行ける時に行っている」と語り、私生活では離婚を繰り返してきた。過去のセクハラの告発も絶えない。派手な暮らしはキリスト教保守派の理想からはほど遠い。だが、それでもキリスト教保守派の白人女性の多くはトランプ氏に投票した。

 同州インディペンデンスの投票所でトランプ氏に投票した主婦マギー・ペインターさん(34)は「両候補とも邪悪。消去法で選ぶ悩ましい選挙だった。ヒラリーは女性の良いロールモデルだとは思わない」と顔をしかめた。中絶や同性婚を容認している時点で「邪悪」なのだ。どれほど選挙活動をしようがほとんど説得は不可能だ。

それでも投票は宗教的義務

 双方とも「邪悪」なら、いっそ棄権はできないのだろうか。トランプ氏の得票数は従来の共和党候補と遜色ない。米紙ワシントンポストの出口調査では、キリスト教保守派である福音派の有権者の8割を獲得しており、棄権は少なかったとみられる。同氏が63%の得票率で圧勝したケンタッキーの投票所でも、落ち着いた格好の白人住民が慣れた態度で次々とやってきて投票するとすぐ去っていった。キリスト教保守派にとっては教義上許されない政策を掲げる民主党候補の当選阻止は宗教的義務であり、棄権という選択視は取りづらいのだ。

 近代的な多様な価値観を拒むバイブルベルトの世界は草原に浮かぶ箱舟のようにもみえる。だが、緩やかに閉ざされた中で現代社会や科学の進化と独特の折り合いをつけようとしているのも確かだ。

 ウィリアムズタウンの巨大な箱舟の中は3層構造で、1階には動物の模型が入った檻(おり)が並ぶ。恐竜が入ったものもある。アダムとイブを誘惑した蛇は恐竜の一種として展示されている。いかに古代に高度な文明が存在していたか、恐竜とも共存していたかがこれでもかというほど説明される。聖書に記述されていないような箱舟の具体的なメカニズムの展示もある。ノアの箱舟は雨水や空気の浄化装置がついていたという。

現代と折り合いをつけてきた歴史

キリスト教保守派が運営する「創造博物館」にある、恐竜の化石と聖書の矛盾解消を図った展示。(ケンタッキー州ピーターズバーグ)

 バイブルベルトは現代科学を否定し、聖書の言葉を信じる米国における「反知性主義」の牙城と言われる。確かにそこには現代科学とは全く異なる世界の見方が存在する。だが、決して科学そのものを否定しているのではない。アンサーズ・イン・ジェネシスのケン・ハム代表は著名な科学解説者ビル・ナイ氏との討論に応じるなど、可能な範囲で科学に歩み寄り、恐竜の化石の存在など聖書と現代科学との間にある矛盾を最小化しようとしている。

 そこから車で40分ほど北上したオハイオ州境にあるピーターズバーグにも同団体が運営する「創造博物館」がある。家族連れが次々に訪れ、ユニバーサルスタジオ風の聖書の場面の模型、しゃべる人形など、かなりカネをかけた設備による演出が楽しめる。ここでは進化論は極端な自然淘汰と環境適応の結果として置き換えられる。現代科学との間で「ぎりぎりの妥協点」を見いだしているようだ。

 現代科学とリベラルな価値観は文化的な脅威としてバイブルベルトに押し寄せ続けている。都市部で人気が高いヒラリー・クリントン氏はその象徴のような存在だ。だが、保守派がそれをそのまま受け入れるのは不可能だ。今回の選挙で多くの保守派にとってトランプ氏はまさにこの「ぎりぎりの妥協点」だったのだろう。
(シリコンバレー=兼松雄一郎)[日経電子版2016年11月12日付]

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