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メキシコ
「トランプ大統領」は嵐かチャンスか

メキシコ「トランプ大統領」は嵐かチャンスか
米国とメキシコ(右側)を隔てるアリゾナ州南端の国境の鉄柵

 乾期に入ったメキシコシティにしては珍しく、その日は夕方から雷雨に見舞われ、翌朝まで降り続いた。何かを予感させるような天候の中、メキシコが国を挙げて落選を祈っていたかのように思えた隣国のあの候補者がまさかの当選を決めた。「メキシコ人は犯罪者だ」「国境に壁を造ってメキシコ人に払わせる」――など選挙戦での演説でことごとくメキシコを敵に回したドナルド・トランプ氏。米国の新大統領としてメキシコに嵐を引き起こすのか、それとも......。

 トランプ氏の当選から一夜明けた11月9日朝、メキシコはショックに包まれた。「ノー!って感じ。メキシコにも米国にもカオス(混乱)をもたらすわ」。学生のカレン・ウリベさん(26)はこう話す。警察官のロドリゴ・バスケスさん(25)も「トランプが勝つとは思わなかったな。米国に暮らすメキシコ人は追い出されてしまうのかな」と心配そうだ。

 新聞各紙も「悪夢」(エコノミスタ紙)「トランプ・ショック」(フィナンシエロ紙)「トランプ候補、ヒラリー候補をノックアウトし世界を揺さぶる」(ホルナーダ紙)などいずれも1面から大きく紙面を割いて記事を掲載。その衝撃ぶりがうかがえる。

 トランプ大統領の誕生はメキシコにとって確かに脅威といえるだろう。為替の動きがそれを如実に示している。

ペソ急落、資金流出や投資減少の懸念

 トランプ氏の支持率とともに乱高下を繰り返してきたペソ。開票前にクリントン氏優勢と伝わり落ち着きを取り戻しつつあった。しかし開票が進みトランプ氏優勢と伝わると急落。1ドル=20ペソ台後半とあっさりと史上最安値を更新した。ペソ安は外国人を中心にメキシコからの資金流出を促し、経済を混乱させる。輸入品の物価が上がりインフレも進む。産業界でみても、例えば自動車ではペソ安は輸出に有利に思えるが、部品の輸入比率が高いため、かえって割高になるケースが出てくるなど全般でみれば厄介だ。急激な為替変動を嫌い、順調に増えてきた外国企業の投資が減ることも懸念される。

 次に北米自由貿易協定(NAFTA)だ。トランプ氏はNAFTAのせいで自動車産業などがメキシコに移り、雇用を奪われていると主張し、廃止を訴えている。NAFTAはメキシコ経済にとって生命線ともいえる存在だ。米国という世界最大市場に有利な条件で輸出できるからだ。NAFTAを利用して自動車をはじめとした製品を米国に輸出する構図でメキシコは経済を順調に伸ばしてきた。そのNAFTAが廃止され、輸出製品に高い関税が課されれば、成長シナリオが崩れてしまう。メキシコは米国向けの生産基地としての地位を失い、新規投資だけでなく既存工場が流出する可能性すらある。

 とはいえ、国境の壁建設も含め、トランプ氏の公約がすんなりと実現されるかどうかは不透明だ。NAFTAは米国企業にとっても生命線だ。人件費を中心に低コストのメキシコでの生産こそが利益の源泉だからだ。だからこそゼネラル・モーターズ(GM)、フォード・モーター、フィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)の米系自動車メーカーがいずれも拠点を構えているのだ。移民問題に関しても、移民の労働力を活用しているのは米国企業の方だ。仮に規制を強化して、移民が大幅に減れば、機能しなくなる職場が相当出てくるだろう。

大統領になったトランプ氏に「リベンジ」する機会も

 「メキシコ経済は(トランプ大統領誕生という)新たな状況に十分、対応できるだけの安定感を持っている」――。ミード財務公債相は11月9日、外国メディアを集めた会見でこう力説した。急落したペソも9日は落ち着きを取り戻しつつあるようにも見える。

 トランプ大統領の誕生がもたらすのは嵐だけだろうか。実はチャンスもある。そのチャンスはある人物にとってのものだ。その人物とは8月末にトランプ氏を官邸に招待したペニャニエト大統領だ。

 結局、壁建設の撤回や、メキシコ人への侮辱に対する謝罪を引き出せず、メディアや市民から酷評され、今もその傷痕は癒えていないように見える。しかしトランプ氏が大統領に当選したことで再び対峙し、リベンジのチャンスが出てくる。次回こそトランプ氏からメキシコにとって有利な発言を引き出したり、過激な公約を覆したりすれば、史上最低クラスの支持率も回復をみせるのではないだろうか。

 メキシコは2018年に大統領選挙を迎える。憲法で再選が禁止されているペニャニエト大統領にとっては所属する制度的革命党(PRI)が引き続き政権を掌握することが最大使命だ。嵐を呼ぶトランプ大統領の誕生という史上最大のピンチをいかにチャンスにして生かせるか。成功すればペニャニエト大統領の支持率だけでなく、メキシコ経済、メキシコ国民にとっても喜ばしい結果となるだろう。
(メキシコシティ支局 丸山修一)[日経電子版2016年11月11日付]

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