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あなたと建築したい(1)アート版ビリギャルは
こうして生まれた!

都築響子 authored by 都築響子東京芸術大学美術学部建築科4年
あなたと建築したい(1) アート版ビリギャルはこうして生まれた!

 はじめまして、都築響子(ツヅキキョウコ)と申します。

 建築界の広告塔を目指し、"人々"と"建築"を近づける活動をしています。イベントやファッションを通してPOPにHAPPYに建築のことを発信したり、写真のように頭に建築模型を乗っけて街中を歩いたりしています。

 他にも、建築学科の学生の力を借りたい社会の人々と学生をつなぐ仲介役のようなこともしています。例えるなら、お魚のことを絵や料理を使って楽しくわかりやすく伝えるさかなクンの建築バージョンといった感じです!

 このような活動をしていますが、私は東京芸術大学美術学部建築科の4年生に在学し、建築のデザインを勉強しています。大学では建物の模型を作ったり、図面を描いたり......。

 「建築家」って言うと「大工さん?」って思う方もいるかと思うのですが、そうではなくて、どんな建物を作るか考え、大工さんが何を作ったらいいか分かるように設計図面を描く人ですのことです。 この連載を通して、こんなわたしでも頑張ればできるんだから、みんなに「自分もやりたいことやってみよう!」って思ってもらいたいです。そして1人でも多くの人に建築って面白い! もっと知りたい! って思ってもらえたら、私はめちゃくちゃハッピーです!!!

頭上建築(ヒカリエ)

きっかけは居眠り

 私は愛知県のごく普通の公立高校の女子高生でした。市内で一番宿題が多く、理系専攻で美大の美の字も出て来ない、というか美術の授業すらない高校です。田舎で、のほほんと育って、高校生活が毎日楽しくて、将来の夢も特にありませんでした。高2の夏、進路希望調査が配られた時も、なんとなーく行けるところに行こうかなぁって思っていて、深く考えていませんでした。

 周りに流されるまま、ひとまずオープンキャンパスに行くことにして、物理科や数学科、建築科など見て回りました。しかし、ここで問題が発生します。大学の説明は教授だと思われるおじさんが前に出てきて話し出すのですが、「え~我が校は......むにゃむにゃ」と。私は...zZ。1校を除いて、すべての大学で寝てしまいました。

 なぜ寝てしまったのか理由はまったく覚えていないのですが、きっとつまらなかったから寝てしまったのだと思います。そして、そのせいで高校に提出するオープンキャンパスの感想シートですごく困ったのを覚えています。

 しかし、わたしはかなり楽観的な性格なので、「1校起きていたということは、それが自分にとって本能的に興味のあることに違いない!」と思い込み、唯一起きていた名古屋市立大学芸術工学部建築都市デザイン学科を目指すことにしました。

 目指すことを決めた後に、受験にデッサンが必要なことを知り、2年の冬からじゃ間に合わないなどということはまったく考えずに、楽観的に「試しにやってみよう!」と、河合塾美術予備校に通いはじめます。

アート版ビリギャル誕生の瞬間?!

 高2の冬、基礎デッサンコースに入塾した私は参考作品を見て、「自分もきっと、こんな上手に描けるようになるんだ!」と、ワクワクしていました。そして、予備校での進路希望相談。人生を大きく左右するであろう大学選択において決めた理由の軽さを先生たちに叱責されます。どうせ、明確な理由がないのであれば選択肢に幅をもたせて色々やってみればいいと言われ、油絵科や彫刻科まで進められる事態に陥ります。

高校時代

 方向転換の振り幅の広さに驚いた私は、先生と折り合いをつけるためにも芸術系建築という方向性は変えずに、日本一を目指すことを提案します。そうして出てきたのが「東京藝術大学美術学部建築科」でした。そんなこんなで、高校2年の終わりにして突如、東京藝大を目指すことになります。

 心の中では、上を目指しておけば余裕を持って名市大に入れるかな? なんてちょっとずるいことを考えていて、東京藝大に入ろうとも、入れるとも思ってなかったし、この後、自分が本気で目指して、入学まですることになるなんて、これっぽっちも思っていませんでした。

乙女心は最強!

 最初は本当に初めてのことばかりで、目の前のことについていくのに必死だったのを覚えています。クラスには個性豊かな3人の同期。ギャル美ちゃんとメガネくんと、のっぽくんがいました。なかでも茶髪でスレンダーなギャル美ちゃんは2年目の浪人生。水彩絵の具で描く建築写生がすごく上手で、「これが描けても入れないんだ......」と、藝大の門の狭さを思い知りました。

 講師の先生は交代制で東京藝大の先輩たちが担当してくれるのですが、私はその中の一人が大好きになってしまいました。上手に描けると先生はとても喜んでくれるし、失敗するとしょんぼりとした顔になります。とても素直で感情がわかりやすい先生だったんです。

 こうして、好きな先生を喜ばせたい一心で、1回1回、手を抜くことなく本気の制作をしました。しかし、本気でやったからといってすぐに上達するわけもなく、一生懸命やったのにもかかわらず思い通りにできないことが悔しくて、予備校に行った日はほぼ毎日泣いていました。

 また、立体構成では、切れ味が良くなるようにカッターナイフの刃をしょっちゅう折るのですが、慣れていないわたしは、毎回のように手を切ってしまい大慌て。このように高校と予備校、勉強と美術実技の両立という慌ただしく休みのない生活が続きました。気づけばaikoやYUIが好きだったTHE・女子高生が、深夜の音楽番組で知ったロックバンド 9mm Parabellum Bulletで頭を振っていました。これぞ受験末期ですね。

 そして、本気で藝大建築科を目指す3人と一緒になって頑張っているうちに、気づいたら私の中でも東京藝大を受けるのが当たり前のようになっていました。

 「先生たちに顔向けできるように、本番やりきって、完成させよう!」

 そんな気持ちが自分の中に生まれていました。だけど、このときですらまだ、本気で受かろう!受かる!と思っていたわけではありません。本気になったのはもう少し後のことです。

立体構成

「どうせ東京藝大なんて受からないから」の一言が

 いよいよ受験本番。東京に行く朝、母から言われた言葉は「どうせ東京藝大なんて受からないから新幹線代もったいないし、行かなくていいよ」というものでした。普段は楽観的な私も、そこは「頑張ってね!」でしょ! 1年間、絵も勉強も頑張ってきたのに、一番近くにいた母にすら、認めてもらえてない。信じてもらえてない。と非常にショックを受けました。

 ショックと同時にすごくムカついてきた私は、

「ぜっっったいに受かって帰ってやる! 見てろ、この野郎!」

と、このときやっと本気(マジ)で東京藝大に受かってやろうと思いました。

 合格発表の日。私は自分の番号があるのを見てホッとしただけだったけれど、喜んで泣いてくれたのは、他でもない母でした。その当時は、「最低。母親失格」などと思っていましたが、後になってみると、18年も育ててきた母は娘を本気にする方法を熟知してたんだなって思います。

 次回は、芸大での波乱万丈な日常の幕開け『建築学生失格。ルコルビュジエ? 誰それ?』をお届けします。