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憲法のトリセツ(1)現憲法は米国の押し付けか
始まりは、ある会談

憲法のトリセツ(1) 現憲法は米国の押し付けか始まりは、ある会談

 11月3日、日本国憲法が公布されて70年の節目を迎えました。7月の参院選では憲法改正に前向きな政治勢力が参院で3分の2の多数を占め、改憲は具体的な政治課題になってきています。憲法が果たす役割とは何なのか、これからどう扱っていけばいいのか。憲法のわかりやすい「取扱説明書」をお届けします。

自主憲法派と改憲派は違う

 現憲法を語る際、よく聞く言葉のひとつに「押し付け」があります。この「押し付け」について3回にわたって取り上げます。

 「国の基本をなす憲法については制定過程にこだわらざるを得ない。日本人ではなく米進駐軍が草案を書いた。逐条的ではなくすべてを書き換えろと言っているのは、新しい憲法を自分たちの手で書くという意識こそが、この国を改革していく精神につながっていくと思うからだ」

現憲法は米国の押し付けか?議論のスタートは1946年1月の「ペニシリン会談」だ(日本国憲法原本にある昭和天皇の署名、押印と吉田茂首相ら大臣の署名=国立公文書館蔵)

 これは10年ほど前の安倍晋三首相の発言です。基本認識は現在も変わっていないでしょう。米国人がつくった憲法だから、全く新しいものと入れ替えたい、という主張です。

 こうした考え方は現憲法ができた直後からありましたが、GHQ(連合国軍総司令部)の施政下にあったころはさほど大きな声ではありませんでした。目立ちだしたのは1952年4月にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が主権を回復してからです。

 のちに首相になる中曽根康弘氏は56年に自ら作詞した「憲法改正の歌」を発表しました。

平和民主の名の下に 占領憲法強制し 祖国の解体計りたり 時は終戦6カ月
 この憲法のある限り 無条件降伏続くなり マック憲法守れるは マ元帥の下僕なり

 望まないものを"強制"された、という主張が明確です。中曽根氏ら保守勢力は「自主憲法期成議員同盟」を結成し、現憲法の破棄を訴えました。

 憲法論争というと護憲vs改憲という構図で語られることが多いですが、実は改憲勢力にはふたつの流れがあるわけです。

 ひとつは「押し付け憲法を捨て、自らの手による全く新しい憲法をつくる」という勢力。もう一方は「現憲法のうち戦争放棄を定めた9条など現状に合わない部分を改める」という考えの人々です。自主憲法派と改憲派の違いについては後日、改めて取り上げます。

 さて、本題の「押し付け」問題です。現憲法の制定過程は年表をみてください。明治憲法のままではGHQの理解を得られないというのは、ポツダム宣言の受諾を決めた時点から政府内のほぼコンセンサスでした。そこで1945年10月に就任した幣原喜重郎首相は松本烝治氏を憲法担当の国務相に任じて改憲案の検討を命じました。ちなみに松本氏は法制局長官を務めたことがありますが、学者としての専門は憲法ではなく、商法でした。

 46年2月、毎日新聞が松本試案をスクープします。国民主権が明確でなく、明治憲法とさほど違わない内容でした。そこでGHQのダグラス・マッカーサー司令官はコートニー・ホイットニー民政局長に原案を作成するように命じ、10日間で仕上げさせました。それに基づいて憲法づくりに取り組むように幣原首相に指示したのですから、押し付けであることは間違いありません。

まるでジョン・レノンのセリフ

 ただ、渡されたGHQ原案が日本が全く望まない内容だったのかといえば、そうでもありません。例えば、先立ってペニシリン会談と呼ばれるできごとがありました。

 46年1月24日のことです。 

 幣原首相がマッカーサー司令官を訪ね、ふたりきりで会談しました。マッカーサー司令官の「大戦回顧録」(津島一夫訳、中公文庫)によると、幣原首相は何か言いたげなのに口ごもっていたそうです。

 マッカーサー 「何を気にしているのか。首相として自分の意見を述べるのに少しも遠慮する必要はない」

 幣原 「新憲法を書き上げる際、日本は軍事機構は一切もたないことをきめたい。日本は貧しい国で軍備にかねを注ぎ込むような余裕はもともとない」

 マッカーサー 「原子爆弾の完成で戦争を嫌悪する気持ちは最高度に高まっている」

 幣原 「世界はわたしたちを非現実的な夢想家と笑いあざけるかもしれない。しかし、100年後には予言者と呼ばれますよ」

 ジョン・レノンはこの会話から「イマジン」の歌詞を書いたのか、といいたくなるような名セリフです。幣原首相も非武装、戦争放棄は自身が提案したと書き残しています。

「大戦回顧録」にはマッカーサー司令官と幣原首相のやりとりが記述されている

 この会談は余計な臆測を招かないように、前年末に風邪をこじらせた幣原首相がマッカーサーが融通したペニシリンへのお礼を述べるための場だったと発表されました。以来、ペニシリン会談と呼ばれています。

 現憲法は(1)国民主権(2)平和主義(3)基本的人権の尊重――の3本柱で成り立っています。戦争放棄を盛り込むという考えを発案したのが幣原首相だったとしたら、GHQ経由でできた憲法だとしても「押し付け」とばかりはいえなくなります。

 ペニシリン会談で何を話したのかをめぐり、いまなおいろいろな解説がなされています。マッカーサー司令官の伝記「老兵は死なず」(ジェフリー・ペレット著、林義勝ら訳、鳥影社)は当時は外相だった吉田茂の見立てとしてこう分析しています。

 「マッカーサーが日本の再軍備を認めるような憲法を承認することは考えられない。マッカーサーは戦争放棄の条項の可能性をすでにほのめかしていた。勘の鋭い幣原はそれを日本人が望んだものとして提出し直した」

 現在、日本の自主憲法派はこの「吉田推測」に立脚して戦争放棄は米国の押し付けと主張しています。提案したのは米国か日本か。ペニシリン会談をどう見るかは「押し付け」論争の出発点です。
(編集委員 大石格)[日経電子版2016年10月26日付]

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