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career-働き方

「ドラゴン桜」東大卒編集者が
会社を飛び出したわけ
コルク社長 佐渡島庸平氏(上)

「ドラゴン桜」東大卒編集者が会社を飛び出したわけコルク社長 佐渡島庸平氏(上)

 名門進学校、私立灘高校から東京大学へと進学したエリート。講談社では敏腕編集者として活躍し、『ドラゴン桜』や『宇宙兄弟』などメガヒットを飛ばした。そんな佐渡島庸平氏が、日本ではまだ珍しい作家エージェント会社「コルク」を立ち上げたのは2012年のこと。創業から4年が経過した今、経営者となった佐渡島氏に改めてその原点を聞いた。

◇   ◇   ◇

 子供の頃は、ずっと本を読んでいました。もともと本が好きなんです。5歳の長男を見ていると、やはり同じなんですよ。夜、1時間くらいは本を読みふけっている。

 僕自身が小学生の頃によく読んでいたのは、ミヒャエル・エンデの『モモ』や『はてしない物語』、トールキンの『指輪物語』など。バス通学でしたが、親と交渉して、歩く代わりに定期代をもらう約束をしたんです。それをお小遣いにしてためて、好きな本やサッカーの道具などを買っていました。

遠藤周作氏に憧れ灘高へ

 中学にあがると、父の仕事の関係で一家5人で南アフリカへ。治安が悪いため、学校の送り迎えは親の車でした。帰ってきても遊びに行けないから家の中で過ごすしかない。当時はインターネットもありませんし、国際電話で日本の友人と話すなんて料金が高くてあり得ない時代でしたから、ずっと家で本ばかり読んでいました。

 どの作品が最初だったのかは忘れてしまいましたけれど、おそらくは、狐狸庵先生シリーズあたりが入り口だったのかなあと思います。遠藤周作さんの作品、なかでも『沈黙』が好きで、高校生のころには自分で小説を書いて賞をもらったりもしていましたから、作家になろうかなと思っていたんです。灘高を受験したのも、遠藤さんの母校だからでした。

 若いころは自分に自信がないから、世間がいいと評価するものを欲するんですよね。それを勝ち取ることで自信をつけたくなる。東大に入ったのは、そういう世俗的な価値観に従った部分もあったと思います。

一流と出会い、作家の道を捨てる

コルク社長 佐渡島庸平氏

 講談社に就職したのは、いずれ小説を書くこともあるかもしれないと思ったから。編集者から作家になる人もいましたから、講談社だったらそういう道もあるかな、というくらいの軽い気持ちでした。最終面接の時も、たしか、こう言われた記憶があります。

 「君は講談社を腰掛けと思って作家になりそうだな」

 結局、僕は作家にはなりませんでした。矛盾するようですが、それも、講談社に入ったからです。

 漫画雑誌『週刊モーニング』編集部に配属され、その日の午後には『バガボンド』の井上雄彦さんと打ち合わせをしていました。同じ日の晩には、『働きマン』の安野モヨコさんとご飯を食べた。一緒に仕事をした初めての小説家が伊坂幸太郎さんで、その後も平野啓一郎さんとか、一流の作家さんたちとばかり、仕事をさせてもらいました。

 一流の人は粘り力がすごいんです。それに、言語化能力も高い。僕も高い方だと思っていましたが、この人たちにはとてもかなわないな、と実感しました。

 もしかすると、自分は作家になっても食えるかもしれないけれど、この人たちのような一流には絶対になれないだろう。だったら、彼らをプロデュースする側に回った方がいいんじゃないか。作家の気持ちをわかった上でビジネスを展開できる人間になれれば、一流を目指せるかもしれない――。そう思いました。

死を目前にした友人と病床で対面

 実は辞めようと決意する瞬間まで起業するなんていう気持ちは、全くありませんでした。会社を経営するなんて、考えたこともない。起業家に対する憧れも、一切ありませんでした。それなのに、なぜ、会社を始めることになったのか。実のところ、そこはあまり論理的じゃないかもしれません。

 入社1年目から三田紀房さんと一緒に『ドラゴン桜』の企画を立ち上げて以来、忙しくしていましたが、2012年は特にほとんど休みなしで仕事をしていました。担当していた『宇宙兄弟』(小山宙哉氏原作)の映画が公開されたのが12年5月5日で、それまで、そのための準備や宣伝で走り回っていたんです。

 『宇宙兄弟』のアニメ化もしていて、4月から放送がスタートしていた。それに合わせて関連本を10冊くらいバーッと出して、そのための仕込みやイベントが重なって......というめまぐるしい日々が続いていました。

 映画の宣伝が一段落したタイミングで、ほんの2、3日間だけ連続で休みをとったんです。そのときに、理由もなくふとこう思いました。なんか、もっとわくわくすることをしたいなって。

 忙しくはしていましたけれど、それは来た球を打っているだけであって、前には進んでいないような気がしたんです。

 漫画でも小説でも同じですが、ただ単に「ヒットを作りたい」と思って世に送り出すのと、「これをヒットさせることによって世の中をこういうふうに良くしたい」と思って世に送り出すのでは違う。会社の駒として球を打ち続けていると、打ち返すのをやめた瞬間、虚(むな)しさが襲ってくる。講談社に対してではなく、自分自身に対して物足りなさを感じました。

 僕が会社を辞めたことと明確な関連性があるかどうかはわからないですけれども、辞める1年ほど前、高校の同級生が亡くなったんです。就職もせずに、いきなりベンチャー企業を立ち上げた男で、皆が敷かれたレールの上を走っていくなかで、彼は異色の存在でした。

 もともと、そんなに仲が良かったわけではありません。ただ、彼が『宇宙兄弟』を大好きだと知り、がんで入院している間、新刊が出るたびに病室へ持って行ったことがきっかけで、だんだんと仲良くなっていきました。

 起業家だった彼は、入院している間もずっと仕事をしたがっていました。「さあ、またビジネスをするぞ」と語っていた直後、30すぎでこの世を去りました。

 彼が亡くなったのは朝方だったと思いますが、その数時間前、「もう最期かもしれない」ということで僕も病室に呼ばれました。死を間際にした人間と対面したのはそれが初めてのことでしたから、すごく影響を受けたかもしれません。

 彼はあんなにも本気で仕事をしたがっていた。なのに、自分はその仕事を心から楽しんではいなかった。なんだかダラダラした生き方をしているな、と思いました。

「わくわくしながら生きていきたい」と思った

 講談社を辞めて起業すると言ったら、両親も含め、周囲からは猛反対されました。多くの人には起業するよりも講談社の社員でいることの方が安心に思えたんでしょうね。でも、例えば結婚したいと思う相手がバツイチの子持ちだったら、気にしますか?

 その人のことを本気で愛していたら、気にならないですよね?

 起業するのも同じだと思います。好きでもない相手を条件だけで選んだら、よりリスクの少ない方を選択したくなるでしょうが、本気で好きな相手だったら、条件なんて気にならないはず。わくわくしながら仕事をしたいと思っていた僕にとって、多くの人がリスクに感じることは、まったく気になりませんでした。

佐渡島庸平氏(さどしま・ようへい)
1979年生まれ。中学時代は南アフリカ共和国で過ごす。灘高校から東京大学文学部に進学、2002年に講談社入社。週刊モーニング編集部で、井上雄彦『バガボンド』、三田紀房『ドラゴン桜』などを担当。小山宙哉『宇宙兄弟』を累計1600万部を超えるメガヒット作品に育て上げ、テレビアニメ、映画実写化を実現。平野啓一郎『空白を満たしなさい』など、小説の連載も担当した。12年に講談社を退社、作家のエージェント会社「コルク」を立ち上げる。
ツイッターアカウント@sadycork

(ライター 曲沼美恵)[日経電子版2016年11月3日付]

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