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「私は不法移民」
トランプ氏勝利で強制送還の悪夢

「私は不法移民」トランプ氏勝利で強制送還の悪夢

 米大統領選挙で不法移民を強制送還すると公約したドナルド・トランプ氏が当選した。米国には1100万人の不法移民がいるとされる。米国で生活基盤を整えてきた彼らは強制送還の悪夢にさいなまれている。トランプ氏は当選後の米CBSテレビのインタビューで、まず犯罪歴のある不法移民を強制送還するとし、残りの不法移民は「国境を安全にして、すべてが正常化してから決める」と述べるにとどめた。だが犯罪歴がない人の間でも強制送還の不安はつきない。

 自身が不法移民であることを隠し続けてきたベネズエラ出身の青年は、選挙直後に不法移民であることをフェイスブックで明らかにし、恐怖と対峙することを決めた。

 「私は、不法移民です」。トランプ氏の勝利が確実になった9日、5歳の時にベネズエラの貧村からニューヨークのクイーンズに移り住んだジョン・ヴィラフェーンさん(24)はフェイスブックで自分が不法移民であることを公にした。父親はタクシーの運転手、母親は家政婦などをして生活を支えた。

不法移民のジョン・ヴィラフェーンさんは強制送還の悪夢にさいなまれている(ニューヨーク)

 自分が不法移民であることは、今までどんなに親しい友人にも打ち明けられなかったことだ。トランプ氏が当選して「怖い。恐ろしい。だけど、陰に隠れていることがもはやいいことであるとは思えない」とつづった。

 現在、マンハッタンの一等地であるトライベッカの小さな建築事務所でインテリアデザインをしているヴィラフェーンさんは、普通の若者だ。市民権やグリーンカードがなくても入学できたニューヨーク市立大学(CUNY)に在学中だが、卒業前に働き始めて5カ月になる。富裕層の豪華な住居や、おしゃれな店舗のデザインは「とてもすばらしい経験」と屈託がない。好きな仕事を見つけ、端から見れば幸せそうな青年だが、内実はそうではなかった。

2012年の大統領令で滞在許可取得、更新は2年ごと

 「毎日、友人や周りの人に嘘をついていることがつらかった」。ヴィラフェーンさんはオバマ大統領が2012年に出した、子供の時に親に連れられ不法入国した若者に滞在許可を与える大統領令(DACA)によって運転免許証を得ることができた。だが、それまでは政府発行の身分証明書がなかった。コンサートやバー、レストランに行くたびに「いつも身分証明書を忘れたふりをし続けなければならなかった」。

 友人を欺き続けることに胸が痛んだ。現在の上司も自分が不法移民であることを知らないだろうという。時折、自分は法的にはこの国に存在していないという恐怖に襲われる。犯罪や訴訟に巻き込まれたらどうなるのか。絶対に法は犯せないと、21歳まで飲酒もしなかった。自分が暮らす国に守ってもらうことはできないという不安はつきない。

反トランプデモは連日続いた(11月12日、ニューヨーク)

 DACAはこうした若者や子供を強制送還しないよう定めている。16歳までに米国に入り、2012年6月15日時点で31歳未満であることなどが申請の条件だ。2年ごとの更新が必要だが、運転免許証や社会保障番号の申請ができるほか、労働許可も得ることができる。DACAはあくまでも大統領令なので、いつまで続くかわからないが、「オバマ大統領のおかげでいっときの心の平安は得られた。何より強制送還が最大の恐怖だから」とヴィラフェーンさんは語る。

 だがトランプ氏がDACAを撤廃する可能性もあり、恐怖は現実になりかねない。麻薬組織の抗争に巻き込まれたベネズエラの生まれ故郷はもはや異国だ。スペイン語より英語のほうが流ちょうで、生活のすべてが米国にある。

 「トランプ氏の勝利を知って、終日病気にかかったようだった」。頭痛や吐き気がひどく、職場を早退した。DACAに申請したから「政府は既に僕の情報を持っている。隠れることはできない」。思い切って事実を打ち明けた友人5人が支えてくれると言ってくれたことが背中を押し、あふれる思いをフェイスブックにつづった。友人のなかにはトランプ氏に投票した人もいた。「もしトランプ氏に投票した友達が、自分が家や生活を奪われると知ったら考えを変えるだろうか」と考えた。

 さらに「女友達数人がプロポーズしてくれた」。結婚が合法的な滞在資格を取る早道であることは米国では誰もが知っていることだ。しかし、ヴィラフェーンさんは「友人のサポートはありがたいが、結婚はビジネスではない」と断った。米国に住むために米国市民と結婚したがる人が引きも切らないなか、ヴィラフェーンさんは「貧しいけど、本当に愛し合っている両親のような家庭を築きたい」と妥協しない。

強制送還恐れ、抗議デモに参加せず

 ニューヨークでは連日、トランプ氏の住居であり、同氏が経営するマンハッタンの「トランプ・タワー」前で抗議デモが続く。だが「逮捕されたら強制送還になるかもしれない」との悪夢からデモには参加しなかった。「僕には選択肢も声もないんだ」と漏らした。

 「僕にとっては本物の敗北」というトランプ氏の勝利。だが「驚きではなかった」。民主党のヒラリー・クリントン氏に投票しなかった人の心情も、トランプ氏の主張も理解できるとしたうえで、「あの人も移民の子孫だ」と指摘する。「日々、一生懸命、誠実に生きている数百万の人たちのことをトランプ氏は知らない。大統領になったら、その人たちの生活を握ることにトランプ氏は気づいていない」と訴える。不法移民であることは「過ちでもなければ、選択肢でもない。(不法移民の)人々はできる最善のことをしているだけなのだ」と話す。

 世界中から様々な国の人や文化が集まるニューヨーク。友人にも外国人が多く、日本文化にも興味があるというヴィラフェーンさん。韓国料理が好きで、スペインの建築もいつかこの目で見てみたい。海外を自由に行き来する友達から聞く外国の話にはいつもわくわくさせられる。いま一番の夢は「いつかパスポートをとって、外国に行くこと」。
(米州総局 高橋里奈)[日経電子版2016年11月18日付]

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