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[ liberal arts-大学生の常識 ]

デジタル社会の光と影(22)“我 伝える ゆえに我あり”
~つながり禁断症状の果てに

小川和也 authored by 小川和也アントレプレナー、フューチャリスト
デジタル社会の光と影(22) “我 伝える ゆえに我あり”~つながり禁断症状の果てに

つながっていても孤独

 つながっていないと不安。でも、つながっていても孤独。自覚の有無はともかく、二律背反のような現象を見聞する機会は多い。これはソーシャルメディア黎明期から触れていたことだが、今となっては何の変哲もない実態と化している。

 かつて、マサチューセッツ工科大学の心理学者であるシェリー・タークルは次のように述べている。

一緒にいるけど孤独を感じる
ソーシャルでつながりたいのは普段寂しいから
ただつながることを目的とし
楽をして"つながっている感"を味わう
ひとりが悪いことのように思える禁断症状
常につながっていることで自意識に変化が生じ、生き方も変わってきた
言うなら"我 伝える ゆえに我あり"
この新しい生き方の問題点はつながっていないと自分が自分じゃない気がすること
だからもっとつながろうとしてそれが自分を孤立させる
ずっとつながっていれば寂しくならないと思われがちだが、それはまったくもって逆で、ひとりが苦手だともっと孤独になる

10代のSNS利用時間は平日平均57.8分

 平成27年の10代のソーシャルメディア活用時間は、平日平均利用時間で57.8分、休日だと93.3分に上る(総務省平成27年情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査)。それ以外にメールのやりとり等も含めると、相応の時間をオンライン上のコミュニケーションに費やしている。1回の利用が数十秒から数分と考えると、1日の中でソーシャルメディアへ細切れに気を奪われる回数はとんでもなく多い。電車の中でも歩いている時でさえも、1人の時も友達と一緒にいる時でさえも、あっさりとソーシャルメディアに吸い込まれる。個人差はあっても、その吸引力は凄まじい。ソーシャルメディアを前に、別のことに長時間集中力を保つのはもはや至難の技かもしれない。

 人間にとって他者とつながること、コミュニケーションという行為は欠かせない。他人から認められたい承認欲求も人間の基本的欲求だ。しかし、"我 伝える ゆえに我あり"という状態になると、伝えることありきでいつの間にか「我」がなおざりになる。

優れた中身を築き、磨く

 スティーブ・ジョブズは、「どんなマーケティングでも、駄作をヒットさせることはできない」という名言を生前に残している。これはマーケティングにおける1つの視点ではあるが、"我 伝える ゆえに我あり"にもどこか通ずる。"つながっている感"を味わうためのつながり禁断症状の果てに、ソーシャルメディアの中には無数の投稿が生まれる。それらは「我」の断片、表現であり、高速回転でシェアされては消える。

 スティーブ・ジョブズはアップル社の優れた製品をつくり出すことに全精力を注いだ。宣伝広告も、優れた製品があってこそだという考え方が先の名言に現れている。中身がなければ、情報伝播する甲斐もない。ソーシャルメディア時代が訪れたことで、その傾向はいっそう強まった。中身がお粗末であると、酷評が世の中を駆け巡る。いくら伝播されたとしても、むしろ逆効果になることも少なくない。エネルギーを注ぐべきは、小手先の伝播ではなく、いかに優れた中身を築き、磨くかだ。

 どんな中身であろうと容易に伝播してくれるのがソーシャルメディアであり、歴史上最も個人をメディア化したと言われる所以でもある。人間は、誰かとつながること、承認欲求を満たすための強力な手段を得た。文字、写真、動画、音声と、その手段は多様化、高度化して行く。「我」の断片、表現も増え続ける。

 比例するように、ますます中身が問われることになるだろう。"我 伝える ゆえに我あり"ではなく、"我あり ゆえに我 伝える"べきことに気づき、変化して行く過程の中にある。