日本経済新聞 関連サイト

OK
[ skill up-自己成長 ]

数学×音楽=創造!(3)個性派揃いの数学オリンピック合宿

中島さち子 authored by 中島さち子ジャズピアニスト・数学者・人材育成コンサルタント
数学×音楽=創造!(3) 個性派揃いの数学オリンピック合宿

 小学校5年生のとき、「国際数学オリンピック(IMO)に日本も参加開始」と報じる新聞記事がふと目に入ってきました。そのときはまるでノーベル賞のように遠い世界の話に思えましたが、世界中の同年代の学生が、数学という場で自由で美しい発想で戦う数学オリンピックという場所に、密かな憧れを抱いたことを覚えています。

 国際数学オリンピックとは、高校生以下が参加できる、1959年ルーマニアで始まった世界で最初の国際科学オリンピックです。当初は東ヨーロッパで開催され、多くの異能たちを輩出してきましたが、徐々に世界へ広がり、1996年当時は75か国・424名の選手が参加する大規模なオリンピックとなっていました(現在は約100か国、約600名が参加)。

 日本では国際数学オリンピックの国内予選(3時間で12問出題)は毎年1月に開催され、約100-200名が「Aランク」に選抜されます。そこから2月に開催される国内本選(4時間で5問出題)で約20名が選抜され、1週間ほどの春合宿に臨みます。春合宿で数回の試験を経て、最終的に国際大会の選手6名が選出されます(現在、予選Aランク選抜者は、早稲田大学や慶応大学、中央大学などの特別推薦入試の特典があります)。

 なお、世界では、各国が独自の選抜システムを持っています。中国数学オリンピック、カナダ数学オリンピックなど、各国内での数学オリンピック選手選抜の問題はどれも面白く、現在はインターネットなどを通じて入手することができます。

数学オリンピックへの道

 小学5年生に初めてその名を知ったときには遥か遠くの存在だった数学オリンピックですが、徐々に数学の世界に魅惑され、ピーター・フランクルさんに出会い、色々な数学の学び場に顔を出すようになるにつれて、実際に出場している仲間にも出会うようになりました。

国内数学オリンピックのサマーセミナーで

 思い切って数学オリンピックに初めての挑戦をしたのが中学3年生。このときは国内予選は通過しましたが、残念ながら国内での本選で敗退。帰りの電車の中である1問の解き方が急に頭に浮かび、「あぁわかった!」と悔しい思いをしたことを今でも覚えています(数学オリンピック国内本選の問題は国際数学オリンピックと同レベルの難問。1問のひらめきが勝敗を決します)。

 そして再び挑んだ高校1年生、1995年の冬。今回は国内本選で1位を頂き、本選を通過した20名ほどが集う春合宿(@代々木オリンピックセンター)に正式に参加することができました。春合宿では同世代の数学仲間だけでなく、数学者の卵として活躍していた大学の先輩方もチューターとして参加しており、夜通し皆で数学の問題を議論し、楽しい時を過ごしました。

 予選は多くの方が集まる会場でみな緊張の面持ち。「試験会場」らしい雰囲気といえます。数学好きは段々顔見知りになることも多く、部屋の中には知り合いの顔もちらほら。本選になると、私の頃は女の子がほとんどおらず、個性派ぞろい(マイペース)な切れ者たちが試験の直前まで遊んだりしていました。いわゆる受験のような緊張感や焦りではなく、むしろどれだけ心身が「自由」でいられるか重要になると思います。

 さらに合宿ともなると本当に少数精鋭になりますが、みな本当に独創的! 全く一様ではなく、各自なりの多種多様な数学への向き合い方を持っており(計算が好きな人、大嫌いな人、まるで絵のように物事を見る人、4次元が見える人、具体的な数・例をもとに思考する人、すべてを抽象的に概念・構造で考える人...)、共通するのは、皆とにかく数学という神秘の世界に魅惑されている、ということ。

国内数学オリンピック・春の合宿で

 合宿では、当時は女性1人でしたし、仲間は正直変わった男の子も多かった(笑)けれど、すごい人になればなるほど没頭力・発想力がとにかくすごい。1つの問いに対しても、アッと思わず驚いてしまうような全く新しい視点から物事を見てしまう。絶対に既存のマニュアルや対策本にはないような、常識を超えた発想でシンプルかつ美しい本質を見通す人(社会や国語は赤点なのに...)や、ずっと先の現代数学を自力で学んでおり問題の背後に眠る深い世界をさらりと見せてくれる人、いつも飄々とマイペースなのにさらっと凄い発想で「こうやんなぁ」と一刀両断にする人、瞬時の発想は苦手でも、粘り強くしつこく考え自分なりの視点を見出す人......。私は、自分らしい方法で数学と向き合う才能溢れる仲間たちから莫大な刺激をもらい、本当にかけがえのないときを過ごしました。

 そして、春合宿中の選抜試験でついに6名の国際大会日本代表選手の一員に選ばれ、1996年国際数学オリンピックインド大会に、日本人女子として初めて参加することに。同年の選手には、灘高校2年生で、現在はカブリ数物連携宇宙研究機構教授を務める立川祐二さんなどがいらっしゃいました。

世界から数学の天才を発掘

 国際数学オリンピックは、3問4時間半×2日間で実施されます。その6問は、毎年各国が持ち寄る100題の中から、生徒から隔離された各国の団長達が集い、1週間をかけて議論して選ばれます。初等的な数学の知識で解けること、オリジナリティがあること、難易度は極めて高いが美しいシンプルな解法を持つこと、という基準を満たす良質な問題を熟考して選び抜くことで、未来の数学者の思考を刺激し伸ばそうとする世界的な試みです。数学が好きだ!と思う若者の気持ちを極限にまで伸ばし、世界の場で切磋琢磨させ、刺激する場といえます。

サマーセミナーで

 こうした試みはその後他の科学分野にも広がり、いまや規模こそさまざまですが、情報、物理、化学、生物、地学、地理などの科学オリンピックも誕生しました。

 現在は、算数オリンピック(小学生以下対象)や日本ジュニア数学オリンピック(JJMO, 中学生以下対象)、ヨーロッパ女子数学オリンピック(EGMO, 高校生以下の女子対象)など、派生したさまざまな数学のコンテストも開催されています。

 数学界のノーベル賞と呼ばれる「フィールズ賞」(4年に一度、40歳未満で極めて優れた数学的業績を残した4名に授与)を獲得した国際数学オリンピックメダリストは13名(うち、ポアンカレ予想を解いたグレゴリー・ペレルマンは受賞辞退)にものぼります。世界で高い評価を受ける国際数学オリンピックへ多くの国が国家予算で選手を派遣していました。

 日本がようやく極めて遅い参加を果たしたのは1990年。当時はまだ国からの支援はなく、野口廣前JMO理事長、秋山仁先生、ピーター・フランクル先生をはじめとするさまざまな方々の思いを結集して歩み出しました。その後、日本の国際順位は毎年10位前後。参加以来金37個(28名)、銀75個、銅39個を獲得しており、同大会から多くの世界的数学者・物理学者・経済学者などを輩出しています。

 次回は、私が高校2年生のときに出場した国際数学オリンピックインド大会、そして翌年のアルゼンチン大会での経験をご紹介したいと思います。

2000年以降の数学オリンピック本選・予選問題が公表されています(数学オリンピック財団HPより)
 http://www.imojp.org/challenge/index.html

エイサ・バターフィールド主演、国際数学オリンピックで金メダルを目指す天才少年を描いた映画「僕と世界の方程式」が公開中。

「日経College Cafe」のお勧め記事はこちら>>