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研究者という職業(10)専門家はなぜ間違えるのか

中田亨 authored by 中田亨産業技術総合研究所主任研究員
研究者という職業(10) 専門家はなぜ間違えるのか
撮影協力:大東文化大学

 研究者は「頭が良い」と思われがちです。大学院まで出て、難しい理論を駆使して知的労働にいそしんでいるのですから、とても賢いように見えるかもしれません。しかし、特定の分野について深い知識があるからといって、他のことについても賢く判断できるとは言えないのです。

 むしろ、研究者はなるほど専門分野だけは天才・秀才だが、それ以外のことには愚かになりうる危険に注意しなければなりません。研究者に限らず、狭い分野だけに没頭していた人は、世間の事情に疎いかもしれないのです。今回は、そうした事態に陥らない方法を考えてみましょう。

研究者は賢い、とは限らない?

 NIHとはNot Invented Hereの略で、「ここで発明したものではない」という意味です。他社が発明した製品を買うことができるのに、「うちで開発したものではないから」という理由だけで買わず、類似品を自社で一から作り直してしまう、意地っ張りな傾向が技術者には強くあります。これを「NIHシンドローム」と言います。

 もちろん、企業間競争においては、競合他社が良い製品を発明したなら、その類似品を市場に出して対抗することは当たり前のことです。しかし、NIHシンドロームが過ぎるとひどい結果を生みます。他社の製品の規格が、圧倒的に普及しているのに、自社の独自規格にこだわってしまい、売れない製品を作り続けたという失敗例は、いくつもあります。

 最近は、企業も他社の良い発明は買ってしまう方が良いと考える例が増えてきているように思えます。昔はテレビは各社がしのぎを削って独自に技術開発をしていましたが、今の日本では各社のテレビのパネル製造事業部を合併・統合しています。「昔、競合。今、合併」という事例が、他の技術分野でも世界的にも多く見受けられます。

 これは、一社だけで技術開発することが難しくなっているから起こっている現象と言えます。技術が高度化した現代では、新発明をするには膨大なコストがかかります。それでいて技術の進化は速いので、新発明や新商品が本当に新しいのは一瞬です。こうなると技術開発は割に合わなくなってしまいます。

 よって、複数の会社が共同して開発コストを分散したり、買えば済むものはたとえライバル会社からであろうが買って済ます、といった経営判断が成り立つのです。就活でも、自分の専攻を生かせそうと思って会社を選んだはずが、その事業から手を引いてしまったり、全く違う事業を展開する会社になったりすることもますます増えてくるでしょう。自分の技術や専門に固執する意地っ張りな研究者や技術者は、生きにくい状況になってきました。

専門家ほど間違える

 専門家ほど間違った答えを出し、むしろ素人の方が正しい判断ができるという現象はしばしば起こります。とある学会で、世界の高名なコンピューター科学者が一堂に会しました。ある学者がプレゼンをしていたとき、プレゼンで使っていたキーボードが壊れてしまいました。「U」のキーを押しても「U」の文字は出ず、代わりに「4」が出てくるのです。

 誰かが「隣のキーを押してみたらどうだ?」と言ったので、右隣の「I」や「O」を押してみると、「5」「6」と出てくるのでありませんか。学者達は、きっと配線一本が切れたに違いない。だから、文字コードがずれてしまって、「4」「5」「6」と連続した数字が出てくるのだと言い合いました。

 ところが実際は、そんな複雑な故障ではなく、単にキーボードが「NumLock」モードになっていただけなのでした。専門家ほど、自分の専門とする難しい理論を使いたがる傾向にあります。本当は単純な出来事を、何々理論が支配する難しい現象に違いない、と先入観を持って見てしまうのです。そして、専門的でコストのかかる解決策を選んでしまいがちです。これを「専門家の誤謬」と言います。

 「専門家の誤謬」は文系やビジネス、政治の世界でも起こりえます。専門家達は「政治学の通説や世論調査の結果によれば、トランプ候補は絶対に勝てない」と言っていたのが良い例です。僅差の大接戦ではなく、かなりの差を付けてトランプ候補は勝っているのですから、専門家たちは自分の先入観に合わない情報をわざと軽視したと言わざるを得ません。

「快適ゾーン」に安住しない

 このように、変化の時代は研究者には分が悪いと言えます。研究者は、思い込みが強く、自分の専門の殻から抜け出したがらない、つまりは間違った判断をする人材になりかねません。

 こうならないためには、常に自分自身に変革を課すことが研究者には求められます。特定の分野の専門家になっても、そこに安住しないことが大事です。全く別の分野の人と付き合ってみたり、新たな分野で活動を始めるといった、専門性のリセットを進んで行うのです。それは、過去の実績を捨て、ゼロから再出発するという苦行と言えます。

 自分の専門分野は実に快適なものです。その分野内にとどまっている限りは、素人より自分の方が優れていますから、自分の優位は安泰です。そのまま安住したくなる誘惑にかられます。冬の寒い朝に、暖かい布団から抜け出したくないという感覚と同じです。しかし、いつまでも布団の中に入っているわけにはいきません。

 むしろ、なるべく早い時期に、快適ゾーンから飛び出した方が、長い目で見れば有利です。というのも、若い内に、いろいろな分野に見聞を広め、人脈を広げておく方が、人生の選択肢が広がるからです。一カ所に安住したまま年を取ると、急に自分の所属する研究部署や事業部が閉鎖になった場合に、特定分野にだけ専門的すぎる我が身の振り方に困ります。

 特定の仕事を数年も続けると、自分がそれなりに専門性を身につけて、快適ゾーンに入ったなと感じるものです。それは長期的には危険な誘惑であると思ってください。そしてそこから抜け出すリセットを考えてみましょう。これは、研究者を目指す人にも、企業への就職を目指す人にも共通して言えることです。

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