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[ skill up-自己成長 ]

自分らしく多様性社会を生きる(2)手段を目的にした瞬間に、夢にはたどりつかない

岩澤直美 authored by 岩澤直美Culmony代表、早稲田大学3年
自分らしく多様性社会を生きる(2) 手段を目的にした瞬間に、夢にはたどりつかない

 私は、これまで自分の固定観念を覆される体験をするたびに、自分の固さを痛感してきました。これは、日本と海外の文化の差から気づくこともあれば、単純に自分の視野の狭さでもあります。

 前回は、自分の心の中にある夢の見つけ方についてのお話でした。自己理解ができると、夢や、本当に好きなことのための活動や時間を増やすことができ、それが毎日をより楽しくしてくれるものとなりました。夢は、実現させることはもちろん、実現に近づけるための過程も楽しく、幸せだと感じられることが多い気がします。今回はその「夢」と、それを実現させるための「手段」の違いについてお話したいと思います。

 「なぜ高校に行くのか」――。私がこれに真剣に向き合っていたのが中学3年生、ドイツから日本に帰国する直前のことです。帰国後の学校を決めるためにパソコンで調べ物をしていました。父親に「どこの高校に行きたいか」のプレゼンテーションをするためです。当時、私は高校に行くことが当たり前だと思っていましたが、実際の義務教育は中学まで。父親は「直美の人生と夢に高校への進学が必要なら、行きたいところに行けばいい」と。ここで私は初めて、自分が周りの概念に流されていたことに気づきます。

 確かにドイツでは、中学卒業から働き出す人も専門学校に行く人も多く、それは自分が「何を目指したいか」によって判断されます。私は、大学院を卒業して国連で働きたいという思いがあったため、高校で知識と卒業資格を得ることが自分に合っていると思い、英語をしっかりと学べる学校を選択しました。

「起業を目指したことは一度もありません」

手段が目的である人多すぎる

 私の周りには2種類の人間がいます。夢やビジョンの実現を「目的」とし、それに近づくためのことは全て「手段」として生きてる人。そして、「目的」を忘れて、「手段」をあたかも「目的」だと錯覚して生きている人。どちらの人も自分らしく生きてるのだと思いますが、後者の生きかたをしてる人をみると、すごくもったいないと感じてしまいます。その理由は、彼らが本来持ち合わせている夢やビジョンを、非現実な理想として捉えてしまってることが多いからです。

 夢やビジョンの実現を「目的」とする人は、その実現のための手段を選択します。「手段」の抽象度は大きく分けると3つあると思います。まずは、「分野」。教育や学習、開発、情報発信、料理、芸術などを指します。次に、「環境」。例えば、大学や専門学校への進学、留学、就職、起業など、どのような方法で行うのかです。最後に、「内容」。シェフの修行、英語習得、広告代理店でキャッチコピーを書く、塾を開講する、など具体的に何を行うかです。そして、これら「分野」「環境」「内容」の全てが、「夢の実現」という軸で繋がっていて、一貫しています。

私の中学生ながらの高校進学の判断で考えると、以下のように考えていました。
【目的】不平等な社会をなくすことに貢献する
【手段】「分野」途上国支援。教育
「環境」国連のユニセフで働く
「内容」英語に力を入れている高校で学び、教育の仕組みを知る

私にとって、起業も手段だった

 それ以来、私は常に「目的」を意識するようになりました。高校時代、お金を稼がなければいけなかったときには、バイトという選択肢だけでなく、英語と指導力の向上を目指して、家庭教師をやったり大手の英語塾のレポート添削を個人で引き受けていたりしていました。

 「なぜ起業したのか」とよく聞かれますが、起業を目指したことは一度もありません。私にとって、これも手段であるからです。極端に言えば、カルモニーという会社を経営していることも手段です。先ほどの3段階の「手段」と合わせると、次のようになります。
【目的】多様性に寛容で、違いを愛せる社会を実現する
【手段】「分野」教育や体験を通して、異文化への慣れを作る
「環境」起業して、サービスを提供する
「内容」異文化理解体験のできるイベントや、塾の事業を運営する

子どもたちに異文化について教える岩澤さん

 もちろん、この目的を実現するために、教育以外の「分野」もあれば、就職したりジャーナリストになったりと、起業する以外の「環境」も可能です。これは、私の現時点での特技や興味、能力や影響力などを考慮して考えた最善の方法を選択しているものです。

結局、自分のやりたいことは自分で決める責任がある

 「手段」を目的として生きてる間は、固定観念に基づく生きかたが現実的なものとなり、「夢」は非現実的な理想として忘れ去られてしまう、もしくは、後回しになってしまっています。私がこれをもったいないと感じてしまうのは、「夢」のために生きるのを諦めたり、「夢」を探すことをやめてしまったりすることを後悔している人が、周りに多いからです。人は賢いから、その環境の中で生きることが最善であると脳を説得させることができてしまいます。でも、苦しくなった時、何も残るものがありません。

 結局、自分がどんな人生を生きるか、というのは周りの人や常識に決めてもらうことはできません。どんな夢を持って、どう自分らしく生きるか、自分と向き合う時間を作ることで見えてくるものがあると思います。次回は、私のこの考えるステップは、実は小学生でもできる単純なことだとことを、ご説明したいと思います。