日本経済新聞 関連サイト

OK
[ liberal arts-大学生の常識 ]

デジタル社会の光と影(24)東京芸大教授に聞く
人工知能の芸術は人を感動させられるか

小川和也 authored by 小川和也アントレプレナー、フューチャリスト
デジタル社会の光と影(24) 東京芸大教授に聞く <br />人工知能の芸術は人を感動させられるか

 大学には教育研究活動以外にも、社会全体の発展への寄与が期待されている。東京藝術大学の社会連携センターは、そのような学外からの要請を受け、大学の関係情報の提供や学内で育まれたコンテンツの発信部局として2007年4月に設置された。

 展覧会、公開講座等、市民が芸術に親しむ機会を提供し、加えて公的機関の審議会への教員の参加、作品の制作や展示、環境や空間等のデザイン、文化財の保存修復やソロからオーケストラに至る演奏など、社会からの様々な連携ニーズに応えている。その社会連携センターで教授を務める伊東順二氏に、テクノロジー社会と芸術、人間の向き合い方についてお話を伺った。

合理的な人工知能との共存

小川 人工知能は合理的な側面、例えば人間にも難しい高度な判断を瞬時に行う能力を担うと考えられることが多いです。いわば非合理の側面も持っている人間や芸術とどのように共存するかはポイントの一つですね。

伊東順二氏(いとう・じゅんじ) 東京藝術大学 社会連携センター教授、美術評論家、プロジェクト・プランナー/プロデューサー。1953年9月2日長崎県諫早市生まれ。早稲田大学仏文科大学院修士課程修了。仏政府給費留学生としてパリ大学、及びエコールド・ルーブルにて学ぶ。1983年日本帰国国まで、フランス政府給費研究員として、フィレンツェ市庁美術展部門嘱託委員(1980)、「フランス現代芸術祭」副コミッショナー(1982)などを歴任。その間、「芸術新潮」での連載(1981開始)などで「ニューペインティング」を日本に紹介。 帰国後、美術評論家、アート・プロデューサー、プロジェクトプランナーとして活動を開始。1989年株式会社JEXTを設立。展覧会の企画監修、アート・フェスティバルのプロデュース、アート・コンペティションの企画実施、都市計画、また、企業、協議会、政府機関などでの文化事業コンサルタントとしても幅広く活躍中

伊東 芸術のような非合理性を受容できる人間は、合理的すぎる人工知能にとっては否定すべき存在になるでしょう。一方、感性と感動の仕組みの科学的分析は人類にとって緊急の課題であり、人工知能と人間の共生社会を考えるためには不可欠な研究課題です。

小川 感性と感動の仕組みは論理的に解析できる部分もありますが、そうではない部分も含まれています。解析が難しい部分を人工知能にどこまで掌握できるかは試金石です。小説や音楽の世界に一定のヒットの法則があるとすれば、人工知能がヒットを目的にその法則を再現することはできるはずですが、そのように作られたものを本当に感動できるかと言えば微妙です。超高技術なロボットスポーツ選手による試合を観たとしても同様ではないでしょうか。人間のドラマや背景込みで、非合理性含めて感動するのものだと考えています。

伊東 ハートを感じるということですよね。ピアノ演奏を聴いていても、ピアノの音だけを聴いているのではなく演奏者のハートを感じ取っている面もありますから。フランスの哲学者メルロ・ポンティが言っているように、見えるものと見えないものの両面からコミュニケーションを分析し理解することが重要です。

非合理性の扱いかた

小川 合理的な面ばかりをインプットする(学習させる)ならば、人工知能には感動するということが真に理解できないと思うのです。

伊東 非合理性というものをどう扱うかは重要です。ミロのビーナスの黄金比率も、それに則ってただ線だけを引いたら感動するものができあがりません。線だけの世界にならないためにはどうしたらよいかを考えることが大事で、それが今後の人工知能開発においても当てはまるでしょう。

小川 情報量がこれだけ多くなると人間の情報処理が追いつかなくなり、それらを咀嚼して合理的に判断することも大変です。人工知能がその補完手段だという観点では、合理的な部分はテクノロジーに任せてしまえば良いわけです。一方で、どこかに非合理的な部分を用意しておかないとバランスがとれなくなることもありますから、その時に人間が非合理的な部分を担えばよいという考え方も生まれます。一方で、人工知能に非合理な部分も学ばせて、人工知能をどの程度チャーミングにできるかにも興味はありますが。ところで、バーチャルリアリティについてはどのようなお考えをお持ちですか。

伊東 日本バーチャルリアリティ学会というものが創設され、以来随分と関わってきているのですが、そもそもバーチャルリアリティとは何なのかということです。まずは、「仮想現実」と訳すとおかしくなると思うのですね。「あり得ないかもしれない」前提の仮想ではないのですから。バーチャルリアリティとは確かに感じる「現実」であります。「徳がある」と言いますが、徳という目に見える形はありません。しかし存在はすると思うのです。形は無いけれど実際には存在する、見えないものを見えるようにする、これを突き詰めているのがバーチャルリアリティなのだと考えています。

 そういう考え方に則れば、バーチャルリアリティによって作らなければいけないものも見えてきます。例えば地域活性の場合であれば、その地域の特色やマインドを見える化することがバーチャルリアリティの使いどころだと思います。何より、バーチャルなものというのは人間の生活と区切るものではありません。

小川 バーチャル(仮想)という表現がむしろバーチャルリアリティの可能性を狭めてしまうかもしれませんよね。だからこそ、「バーチャルリアリティとは何なのか」ということを本質的に考える必要があります。