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憲法のトリセツ(7)権力の側が作る「欽定憲法」の登場

憲法のトリセツ(7) 権力の側が作る「欽定憲法」の登場

 権力を縛るはずだった憲法が逆に国民を縛る役割を果たす場合もある。前回、そうした主客転倒に触れました。実はこれは古くて新しい問題なのです。そのきっかけになった欽定(きんてい)憲法について考えてみましょう。

加藤弘之の先見

 のちに東京帝国大学の初代学長を務める加藤弘之の著書『立憲政体略』(1868年)は政治の仕組みを次の5つに分類しています。

 〈君主擅制〉君主天下を私有し(中略)生殺与奪の権ひとりその欲するところに任ずる

 〈君主専治〉君主天下を私有し(中略)ただ習俗おのずから法律となりてやや君権を限制する

東京帝国大学の初代学長も務めた加藤弘之の生家

 〈君民同治〉君主(中略)あえて天下を私有することなく、かならず公明正大・確然不抜の国憲を制立する

 〈貴顕専治〉貴戚・顕族数員、累世政権を掌握する

 〈万民共治〉君臣尊卑の別なく、ただ有徳の君子一人もしくは数名選択せられて政権を掌握する

 1868年は明治元年です。この頃、すでに欧米の政治体制をここまで精緻に分析していたのですから、幕末日本の学問水準は大したものです。

 余談はさておき、君主擅制はいまでいう専制君主制のことですし、万民共治は選挙で代表を選ぶ共和制のことです。加藤が鋭いのは、その中間に微妙に違う3つの政体があることに気づいたことです。

 このうち君主専治と君民同治はいずれも立憲君主制ですが、君主が天下を私有するかどうかが異なります。つまり加藤がいう国憲、いまでいう憲法がある国でも君主の権力の大きさはかなり異なると指摘しているわけです。

 立憲国家の先駆が英国、フランス、米国であることはすでに取り上げました。これに追いつけ追い越せと近代化を進めたのが、ロシア帝国や19世紀後半に統一国家になったドイツ帝国です。それぞれ1906年、1871年に憲法を制定しました。でも、君主の権力は相変わらず強大、つまり、君主専治でした。

 加藤はドイツ帝国の前身であるプロシアの政治体制をみて、君主専治という概念を思いついたとされています。ドイツ憲法はすべての男子が参加する選挙で代表を選ぶと定めていました。ドイツ憲法を下敷きにして大日本帝国憲法を制定した日本で普通選挙が実現するのは1925年ですから、随分と進歩的な印象を与えます。

憲法である条件

 だが、他方でドイツ帝国憲法は皇帝を君主と定め、その皇帝が宰相の任免権を握っていました。議会が法案を可決しても宰相が署名しないと発効しないので、議会の力は限られていました。第1次世界大戦に敗れる1918年になってようやく議会に宰相の解任権が付与されました。

 要するに、国民の政治参加の要求に応えるふりをしつつ、実際には国民の権利を制限する憲法を君主が制定することで、君主独裁を維持しようとしたのです。これが欽定憲法です。

 1789年に発表されたフランスの人権宣言は「権利の保障が確保されず、諸権力の分立が定められていない社会はおよそ憲法をもつものではない」と主張しました。この時点ではブルボン王朝を葬るつもりはなかったので、主権がどこにあるのかは問われていません。

 むしろ重要なのは、「法の支配」「行政と司法の分離」がはっきりしていて、君主の独断で国民を死刑にしたりはできない。それが憲法の最低条件ということになります。

 この基準で考えると、大日本帝国憲法は国民の権利が一応、明記され、三権分立の規定もあるので、欽定だけど憲法であるといえます。他方、ドイツ帝国憲法は三権分立がはっきりしないので、憲法失格といってよいでしょう。下敷きにしたといっても、2つの憲法は全く同じではないわけです。

樋口陽一東大名誉教授

 いずれにせよ、権力の側が制定する欽定憲法が登場したことで、憲法というものの概念の幅が広がりました。

 樋口陽一東大名誉教授は1973年に出版した『近代立憲主義と現代国家』で、「国民主権における国民には二義牲がある」と書きました。国民といってもひとりひとりの考え方は違うのですから、議会の決定が国民の決定とイコールではない、ということで「半代表制」と呼びました。

 憲法を体する議会と国民の総体の意思が合致するのかどうか。どんな選挙制度をとっても、必ず食い違いはあります。

 籔下史郎早稲田大名誉教授が監修した『立憲主義の政治経済学』に収録された河野勝早稲田大教授と広瀬健太郎早稲田大学高等研究所助教が一緒に書いた論文の一節を紹介して今回の終わりとします。

 「国家が憲法という一片の文書をなぜ政治の中心に据えるのかという問いは、なぜ世界から戦争がなくならないのか、あるいはなぜ革命や民主化といった大きな政治変動が起こるのかといった問いと並んで、きわめて重要な問題である」
(編集委員 大石格)[日経電子版2017年1月18日付]

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