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憲法のトリセツ(8)旧憲法が現憲法に継承した自由主義

憲法のトリセツ(8) 旧憲法が現憲法に継承した自由主義
都知事選の投票風景(2016年7月)

 君主が制定し、国民に与えられた「欽定(きんてい)憲法」の代表例である大日本帝国憲法(旧憲法)にどんなイメージを持っていますか。この憲法のもとで日本は第2次世界大戦へと突き進みました。そのため、軍国日本を象徴する存在として語られることが多いのですが、前回指摘したように立法、行政、司法の三権分立がきちんと規定され、基本的人権が明記されるなど、かなりしっかりした憲法でした。

旧憲法、意外に少ない「義務」

 1875年(明治8年)2月11日の紀元節に、明治維新の中心人物が大阪で一堂に会しました。

〈薩摩〉大久保利通
〈長州〉木戸孝允、伊藤博文、井上毅
〈土佐〉板垣退助

 の5人です。

 王政復古をなし遂げた薩長土肥の藩閥政府は征韓論や台湾出兵などを巡り内紛続き。薩摩の西郷隆盛、長州の木戸、土佐の板垣、肥前の江藤新平らが去り、がたがたでした。大阪で財界活動をしていた井上が、大久保と木戸、板垣の和解をあっせんしたのが、この大阪会議です。

 場所は日本経済新聞の大阪本社のすぐそば。舞台となった料理屋の跡地には小さな石碑が立っています。

漸時立憲政体樹立ノ詔勅(国立公文書館所蔵)

 この会議で明治政府のその後を決める決定がなされます。天皇が全権を握る君主制から、憲法に基づいて国政運営する立憲君主制に移行することで合意したのです。2カ月後、明治天皇は「漸時(ぜんじ)立憲政体樹立ノ詔勅」を出しました。帝国憲法の発布は1889年(明治22年)ですが、その14年前にレールは敷かれたのです。

 安倍政権の支持基盤である保守派には「現憲法は権利ばかり多くて、義務が少ない。戦後日本が堕落したのはそのせいだ」と主張する人が少なくありません。

 では、帝国憲法に義務の規定はいくつあるのでしょうか。

〈20条〉日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ從ヒ兵役ノ義務ヲ有ス
〈21条〉日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ從ヒ納税ノ義務ヲ有ス

 このふたつだけです。現憲法は勤労、納税、教育を3大義務にしていますから、帝国憲法はむしろ少ないのです。

帝国憲法=ファシズムなのか

 では、権利の方はどうでしょうか。こちらはたくさんあるので表にしました。どれも「日本臣民ハ」で始まるので、省略してあります。法律で制限できるとの条件付きではありますが、言論の自由も書かれています。

 もちろん、31条で戦時または国家事変の際には「天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ」とあるため、天皇の名による専制政治が可能ではあったのですが、帝国憲法=ファシズムのように見るのは適切ではないと思います。

 帝国憲法の執筆には伊藤、井上に加え、金子堅太郎、伊東巳代治があたりました。伊東の孫に治正という人がいます。巳代治が残した膨大な資料を保管する一方、1936年(昭和11年)に雑誌『自由』を創刊しました。題名通りに日本が戦争へと突き進む時代に自由主義の旗を掲げました。

 『自由』は特高警察などの圧力ですぐに廃刊となりますが、続いて1941年(昭和16年)に憲法史研究会を立ち上げます。帝国憲法の執筆過程に立ち返り、立憲と君主制の均衡などを勉強したそうです。

 連載2回目に登場した鈴木安蔵はこの研究会のメンバーで、伊東家文書の整理の担当者でした。現憲法は帝国憲法を改正したものですが、形式的にそうだというだけでなく、思想的にもそれなりの連続性があることに、もっと注目した方がよいと思います。

 実は帝国憲法が現憲法に与えた最も大きな影響は、憲法改正の仕組みではないかといわれています。帝国憲法は改正についてこう規定しました。

〈73条〉将来此(こ)ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス

 現憲法の改正条項と比べてみましょう。

〈96条〉この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。

 現憲法の指す「総議員」が法律上の定数なのか、欠員を除く現在の人数なのか、欠席や棄権を除く投票者数なのか、はいろいろな説がありますが、いずれにせよ、帝国憲法に「総員」と書いていなければ、もう少し紛らわしくない表現を用いたのではないでしょうか。

どんな憲法でも運用次第

原敬内閣当時の政友会系有力者たち。前列左から高橋是清、後藤新平、伊東巳代治、原敬、犬養毅(憲政記念館所蔵)

 自由主義に話を戻すと、帝国憲法のもとで二大政党による政権交代システムが整備されていきました。統帥権干犯や天皇機関説などを巡る憲法論争を経て、大正デモクラシーは最終的に崩壊しますが、帝国憲法の罪というよりも、それを弄んだ軍国主義者たちのせいという感があります。

 憲法を語るときによく「最も民主的なワイマール憲法からヒトラーが生まれた」という言い方をします。どんな憲法でも、民主的に運用すれば民主憲法ですし、専制的に運用すれば専制憲法です。

 憲法を書き換えるかどうかだけを論じるのではなく、国のあるべき姿をよく考え、その精神を憲法に反映させることが重要ではないでしょうか。現憲法の書きぶりがいまのままでも、日本を戦前のような国にすることは十分可能なのですから。
(編集委員 大石格)[日経電子版2017年2月1日付]

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