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自分らしく多様性社会を生きる(5)出家騒動から見る
日本の「宗教」について

岩澤直美 authored by 岩澤直美Culmony代表、早稲田大学3年
自分らしく多様性社会を生きる(5) 出家騒動から見る日本の「宗教」について

 少し前に女優の清水富美加氏が、宗教法人「幸福の科学」で出家するために、芸能界引退を表明したことが大きな話題となりました。この彼女の判断については多くの批判も集まりましたが、私はここで彼女の言動や「幸福の科学」についてコメントするつもりはありません。ですが、多くのネット記事やコメントを拝見しながらふと感じた「宗教」に対する違和感を感じたので、思ったことを書きたいと思います。

 まず、前提として、私自身は特定の宗教を信仰していません。日本人の父の実家には仏壇があり、法事に参加するときもありました。チェコ人の母の家庭には、キリスト教の影響を受けた文化が残っていました。親戚には、ヒンドゥー教を信仰するインド人もいます。また、幼少期からインターナショナルスクールに通っていたため、キリスト教をはじめ、イスラム教、ヒンドゥー教の友人も多くいました。宗教というものは身近に感じながらも、私自身はそれら教えについての知識はありませんでした。

「宗教」に対する偏見

 文部科学省が行った宗教統計調査によると、日本の神道系と仏教系の信者数の合計が、日本の全人口のおよそ1.5倍になります。日本には、お正月やお葬式などの文化として宗教に関連する行事が多く残っており、そういったものに関わる人口もこの数字に含まれるため、このような結果になるということです。「なんとなく」や無意識な信仰が多い結果、仏教と神道などの二重信仰の回答も多かったと言えると思います。宗教としてその教えを認識した上で、信仰する割合は非常に少ないと言われています。

「私自身は特定の宗教を信仰していません」と話す岩澤さん

 そんな日本社会の中で、「宗教」に対して、ある種の不安や恐れを感じる人は多くいるように感じます。私自身、正直その一人です。不思議なことに、多様な信仰を持つ家族や親戚、友人に囲まれながら育ったにもかかわらず、「宗教」という言葉に対しては少し構えてしまうところがあるのです。よくよく考えてみると、「宗教」と英語の「Religion(宗教)」は同じ意味のはずなのですが、私の場合は全く異なる形で頭に入ってくるのです。「Do you have a religion? (信仰してる宗教はありますか?)」という会話は海外だと初対面でも頻繁にあり、とてもフラットで違和感のないものだと感じています。ですが、「宗教」と日本語になると、少し警戒をしてしまう――。その理由は、大きく2つあると思います。

 1つ目は「宗教」や「信仰」の文化自体が、身近ではないということです。日常の中で信仰を意識する人が少なく、「信仰してる宗教はありますか?」聞くことも多くはありません。どのような信仰であれ、そう言った生き方に不慣れなところもあると思います。2つ目はカルト宗教の存在があります。「身近に感じられない宗教文化」の中で、かつて存在したオウム真理教の事件をはじめとした、カルト宗教の社会問題が「宗教」イメージを作ってしまったように思います。なので、今では「宗教」という言葉が、日本での「カルト宗教にまつわる事件」とセットで連想されてしまうのではないかと思います。つまり、宗教に対するイメージが薄かったため、ネガティブなイメージに染まりやすかったのではないかということです。

 これは個人的には大変悔しいなと感じる部分です。自分自身その言葉に構えてしまうたびに、頭の中で英語に置き換えて考えるようにしていますが、その度に反省すると同時に、ステレオタイプの怖さにぞっとしています。

 そんな宗教に対する「不慣れ」が、信仰を持つ人に対する「無意識な差別」を発生させることもあります。私の仲の良い友人で、キリスト教の教会に通っている人がいます。彼女はあるタイミングから、その信仰についてSNSでも隠さずに表現するようになりました。それを境に、仲の良かった友人が徐々に離れていくことを経験したと言います。

 それは、彼女が生き方を変えたため、そして信仰を持つ人との深い関わりが不安なため。裏では、彼女が日本人でありながら宗教を持っていることや、家族がキリスト教ではなかったのに宗教を持つことは変だと陰口を言われることになりました。世界三大宗教であれど、日本では約1%のマイノリティです。「無知」「不慣れ」であることが差別につながってしまう、悲しい事例だと感じました。

神様の優劣はあるのか

 さて、今回の出家騒動で話題となっている「幸福の科学」の教えについては詳しいことは存じあげませんが、どんな宗教であれ、信者にとっての神様(たち)は、本物で、最高で、唯一の存在です。宗教によって神様の教えがそれぞれ異なるからこそ、世界中に多様な価値観があり、他の宗教を受け入れられないこともあれば、紛争やテロのような問題にもつながっていくこともと思います。

 私は宗教間の寛容性や関係性の改善のためにできることはないのかと思い、教養のために聖書を読んだり、いくつかの宗教の教えについて勉強したりしてみました。例えば、聖書1つ取ってもいろんな解釈があるとは思いますが、私が教わった人のほとんどは、神様や天国の質に優劣があるのだと考えていました。

 「文化に優劣がない」ことと同じように、「神様にも優劣がない」と信じている私にとって、例えばキリスト教の方がイスラム教よりも優れているとか、ヒンドゥー教の方が仏教よりも上だ、などという価値感はまだよく理解できません。なるほどなあ、と感じています。それは、「日本食は中華料理よりも優れている」と言えないように、その人その人にとっての価値観や思考、文化によって相性の合うものがあるだけのことだと思っているからです。

 ところが、「信仰する」ということはある程度「この信仰、生き方、価値観が最も優れていて、幸せになれる」と信じるくらい、1つの宗教を軸にして生きることなのかもしれない、と感じています。あくまで、現時点での客観的な視点ですので、意見がある方や詳しい方、信仰を持っている方の話をぜひお伺いしてみたいです。

 今回の騒動、彼女が洗礼を受けたキリスト教の信者として修道女になってたり、仏教に出家をしていた場合、世間の反応はどういう風に違っていたのだろう。「宗教」に対する当たりやイメージは、どのように影響したのだろう。

 宗教にまつわる問題は世界中で昔から存在しています。そんな信仰の違いにも寛容になり、異なる宗教に対しても愛を拡げられる世界になることを願っています。