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数学×音楽=創造!(4)国際数学オリンピック インド大会へ!

中島さち子 authored by 中島さち子ジャズピアニスト・数学者・人材育成コンサルタント
数学×音楽=創造!(4) 国際数学オリンピック インド大会へ!

 インドの路上で立っていた少女の、こちらを不思議そうに伺うきらきらした美しい瞳と、その横で疲れたように佇むお母さんの姿。約20年たった今も、私にとって一生忘れられない光景です。

 1996年7月7月、私たち6人6人は日本代表として、いよいよ第37回国際数学オリンピック(IMO)インド大会の開催地ムンバイへ出発しました。日本人女性としては初の世界大会参加。

 ムンバイは、インド西海岸にあるインド最大の都市。交通の便も良く映画産業も盛んなインド経済の中心でもあります。1995年、ボンベイからムンバイと名称が変わったばかりでした。

いざ出発!

1996年IMOインド大会。インドのガイドの方々と金メダルと共に

 さて、インドについた私たちを迎えたのは...「あれ? 誰もいない?」。仕方がないので、副団長伊藤雄二先生(慶應大学)とコーディネーターの安藤哲哉先生(千葉大学)と共に右往左往しながら歩きました。蒸し暑い飛行場では銃を構えた警備員が多数。薄暗い道をどきどきしながら歩きながら、ようやく選手を待つバスを発見。30分ほど揺られたのち、ホテルではなく、いかめしいバーバ原子力研究センターに到着。そこで私は男性諸君と別れ、モンゴルの美しい女性選手ホーランと2人同室となりました。同じ建物内には、75カ国から来た選手424名とガイド75名、副団長やコーディネーターたちが宿泊していました。

 国際数学オリンピックの試験は、2日間かけて実施されます。1日4時間半で3問(計6問)に挑戦するのです。私自身は、インドに来た喜びと興奮もあり、実にスムーズに楽しく過ごすことができましたが、試験中もさまざまなハプニングがありました。

 例えば、初日、各々の机に出されたケーキを食べた選手の多くがおなかを壊しました(笑)。私はたまたま、食べようとしたケーキに、ふっとハエ君が大いに居座ったため、食べずに終了。また、人によってはふと窓を見ると、4階なのに猿が! とにかく想像を超えたことがたくさん起きる国でした。

 なお、インド大会は国際数学オリンピックの中でも特に難しかったと評判の大会でした。特に5番の問題は、今でも国際数学オリンピック史上最難問といわれており、国際数学オリンピックが舞台となった日本でも全国順次公開中の映画『僕と世界の方程式』の中にも登場します。


ABCDEFを凸六角形として、ABとEDが平行で、BCとFEが平行で、CDとAFが平行であると仮定する。RA、RC、REを、それぞれ三角形FAB、BCD、DEFの外接円の半径として、pを六角形の周の長さとする。このとき、次の不等式が成り立つことを証明せよ。

(国際数学オリンピック1996年インド大会第5番)


※『僕と世界の方程式』(原題『x+y』)は今話題のエイサー・バターフィールド主演の、数学オリンピックを舞台とする映画。1月28日より日本でも公開されています。

映画『僕と世界の方程式』より、IMO開会式イギリスチーム挨拶の様子(c)ORIGIN PICTURES (X&Y PROD) LIMITED/THE BRITISH FILM INSTITUTE / BRITISH BROADCASTING CORPORATION 2014(2枚とも)
映画『僕と世界の方程式』より。主人公ネイサンと素敵な中国の女の子チャン・メイ

日本人女性初の金メダルを獲得

 大会結果は、私は42点中36点、国際順位第7位で、無事金メダルを頂けました。本順位は日本人選手歴代最高で、問題が難しいほど1点の価値は高まるため(簡単な年は満点も多いのですが、インド大会金メダルボーダーは28点と低く金メダル内にも大きな差がありました)、当時の団長対馬龍司先生(明治大学)から大いにお褒め頂きました。インド大会では、金メダリスト内で女性は世界で1人。前年の1995年も金メダリストのうち女性はマリアム・ミルザハニ(イラン)のみで、彼女はその後、2014年女性初のフィールズ賞(数学界のノーベル賞)受賞という快挙も成し遂げています。

 国際数学オリンピックの試験はもちろん難しかったのですが、とにかく楽しかった! という記憶があります。試験後も、この問題に対するより美しい解き方は何か、他の視点はないか、など夜通し色々な意見を交わし、最高に刺激的な1週間でした。

 試験後は3日間ほどをかけて、「この人はここでこういうアイデアを出している」「この主張はこの結果につながる」などのコーディネーションが、開催国と参加国の間で実施されます。その3日の間に、私たち選手はインド人ガイドの方々と共に観光をしました。タージマハルに行ったり、山に登ったり、よくわからないあやしげな遊園地に行ったり(別の意味で怖かった...)。さまざまな国の学生と一緒に、貴重でスリリングな文化体験をしました。

 インドの人は、とにかくよく話します。私は当時英語にも夢中になっており、正直かなり自信があったのですが、インド人の英語は訛りが強くスピードも早いため、しばらくはなかなか質問が聞き取れませんでした。それよりも難しかったのは質問の内容です。日本チームガイドのシャー(経済学を勉強する大学生)をはじめとするインドの人々は、とにかく日本の経済、政治、宗教、教育、音楽、文化に至るまで、たくさんのことを聞いてきました。自分では社会学も大好きでそれなりに知っているつもりでしたが、いざ聞かれると、自分が余りにも日本のことを知らないことに愕然としました。

心に残ったインドの人と風景

1996年IMOインド大会。観光に向かうバスの中で

 インドの路上には、野犬や水牛もたくさん闊歩していました。また、色んなところで小学生か中学生くらいの女の子がお母さんの陰に隠れて、キラキラといたずらそうな目を向けて、私たちを眺めていました。私が(関わるなと子供を諭す大人に隠れて)にこっとすると、彼女もにこり。きっともう二度と会えないかもしれないけれど、彼女たちと笑顔で視線を交わしたあの瞬間は、私にとって絶対に忘れられません。

 世界には、自分たちとは全く違う背景や歴史や文化を背負う人たちがたくさんいる。同時に、たった1つの笑顔や発想で、多様な違いを乗り越え、通じ合うこともできる...言葉にできない衝撃や感動を体験しました。

 なお、インドの人々は、時間の感覚をほぼ持ち合わせていません(笑)。例えば、山登りをした日は、日本の先生からは夕方6時には戻ってくるように言われましたが、私たちは6時に頂上に到着。そわそわする日本人にかけられるインド人の言葉は毎回「ノープロブレム!」。インド滞在中何度この言葉を聞いたことでしょう。閉会式も開始時間は書いてありますが、詳細や終了時間は記載なし。本当にぎりぎり空港に着き、ひやひやした国も多々あったようです。

 インドでは信号も意味がなく、交差点ではプップープップーと車のクラクションが常に鳴り響いていました。イチゴジャムの中にいつも蠢いていたハエも、雨の匂いも、道を闊歩する水牛も、インドの活気ある人々の好奇心と輝きと笑顔、そして世界中から集まった75カ国の人々の熱気と友情と優しさも、全て本当に素晴らしい宝物として私の中に今でも息づいています。こうして高校2年で「世界」と触れた体験は、間違いなく、私の人生を変えました。

 翌97年には、IMOアルゼンチン大会に参加し、銀メダルを頂きました。地球の裏側で、故長尾健太郎君(IMO4大会出場、金メダル3つ獲得、数学者)方と一緒に、やはり非常に楽しい時間を過ごすことができました。長尾君との思い出については、また改めてどこかでお話しさせて頂きます。

1997年IMOアルゼンチン大会選手の長尾健太郎君や韓国チームと共に

1997年IMOアルゼンチン大会イタリアチームと共に

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