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career-働き方

守りたい、浮世絵(1)ジュエリーデザインから芸能プロダクションの仕事へ

守りたい、浮世絵(1) ジュエリーデザインから芸能プロダクションの仕事へ
authored by 三井悠加三井エージェンシー・インターナショナル 代表取締役

 みなさん初めまして。浮世絵プロジェクトの三井悠加と申します。

 私は、父が芸能プロダクションの経営者、叔父は演歌の作曲家、水森英夫という少し変わった環境に育ちました。父の会社では、今までに夏川りみさんを紅白に4回、一昨年昨年と山内惠介さんを年末のNHK紅白歌合戦に出場させてきました。2人が全く名も知られていないころからのサクセスストーリーを、ゼロの状態から目の当たりにし、夢は諦めなければ叶うものなのだと私自身も心から思えるようになりました。

「「浮世絵」の存在や魅力を知ってもらいたい」と話す三井さん

 歌手自身の並大抵でない努力と才能も成功の大きな要因ですが、紅白という大舞台に出場できるまでに成功するには、所属事務所の社長である父の哲学も大きな影響を与えていたと思います。「一流と仕事をする」「受け皿を作っておく」「失敗は成功するための一つの過程」。

 これらの父の教えは、浮世絵を仕事にするという、何もないところからビジネスを築いてきた私自身を作ってきた言葉でもあります。そして、これから何かを始めようとする皆さんの役に立つのではないかと思い、私がどのような道のりを歩み、今現在に至るかを数回にわたり皆さんにお話しさせていただくことになりました。皆さんの将来に、何か少しでもお役に立てれば嬉しいです。

 「浮世絵プロジェクト」とは、後継者が減っている浮世絵職人さんの技術保存と伝承を目指しているプロジェクトです。浮世絵の「浮世」に「今、現代の」という意味があることから、江戸時代の絵師が当時人気だった歌舞伎役者や花魁、名所などを書いていたように、平成の「今」のスターを描くことが現代の浮世絵です。さらに日本から世界へ発信していくことで多くの人に「浮世絵」の存在や魅力を知ってもらいたい、と願い日々活動しています。私が2014年にこのプロジェクトを立ち上げるまでには本当にたくさんの経験をさせていただきました。

専門学校でスキルを身につけたい

 私は中高一貫の学校を受験し、高校生2年生になる前、受験コースと普通コースに分かれるのですが、専門的なスキルを身につけ、好きなものを極めたいという気持ちが強かったため、大学には行かず専門学校へ行こうと思っていました。入学先として選んだのはデザイン専門学校のジュエリークラフト科です。体験入学をした際に、一つの指輪を一からデザインし形にしていく工程がとても魅力的で、この専門学校へ入校を決めました。

 そして、専門学校1年の時に「せっかくバイトするなら、さらに学べる所、そして活かせる所で!」と思い、渋谷PARCOのシルバーアクセサリーのセレクトショップで販売員として働き始めました。そのお店のオーナーはタイに工場の生産ラインを持っていたため、有名なシルバーアクセサリーブランド以外にオリジナルブランドを立ち上げ、全国二十数店舗に商品を卸していました。

専門学校時代に作った指輪の作品

 その時のデザイナーが当時のショップの店長で、その女性は私にとっては、"自分のやりたいことを叶えているとても輝いた女性"に見えました。ロールモデルというのでしょうか、こんな女性になりたいなと思える方でした。そんな中、オーナーより「三井もジュエリーのデザイン専門学校に行ってるんだったらうちのブランドのデザインをしてみないか?」と夢のような話をいただきました。

 ふたつ返事でその話を受け、早速、革とシルバーを組み合わせたアクセサリーをデザインしました。それがタイの工場へ渡り、大量に生産されて日本のお店に卸され、その商品を自ら接客して売る。その商品が売れた時の喜びったらもう。今でも忘れられません。すっかりその味をしめた私は、「この会社へ就職したい!」と心に決めていました。

浮世絵の木版画を彫る職人さん

所属歌手の紅白出場で家業に

 しかし卒業目前の年末、紅白歌合戦に私の父親がスカウトした夏川りみさんが「涙そうそう」の大ヒットにより初出場が決まったのです。父はレコード会社に勤めていた頃、夏川りみさんをスカウトしましたが、なかなかヒットに恵まれず、りみさんは一度夢を諦めて沖縄に帰ってしまったことがありました。しかし父は私が中学1年の時に、レコード会社から独立し、芸能プロダクションを立ち上げ、もう一度夏川りみさんを呼び戻し、ヒット曲を出すために必死にプロモーションをしていました。

 スカウトされたりみさんは当時12歳、私はまだ幼稚園生でした。一緒に家族旅行へ行くなど、姉のように慕っていたりみさんでしたし、紅白出場を機に家業が目の回るような忙しさだったのを目の当たりにし、自分から実家の仕事を手伝うことを申し出ました。

 当時19歳、芸能界の右も左もわからなかったけれど、できることから......。衣装のアイロン掛け、荷物持ち、ファンクラブの会報作り、グッズの制作、販売からステージ上でカチャーシー(沖縄民謡の振り付け)のレクチャーなど(笑)。やれることはすべてやりました。

米ロックバンド「KISS」とのコラボ浮世絵

浮世絵との出会い

 そのグッズ制作をしている時に、浮世絵の版元さんより、「浮世絵のグッズを作りませんか?」とお声がけいただいたのが、私と浮世絵の最初の出会いでした。恥ずかしながら浮世絵が版画ということも、当時の私は知らなかったのですが、彫金を私自身もしていましたので、その時に見せていただいた浮世絵の細かな描写や、一枚一枚手摺りである木版画ならではの温かみに魅了されてしまいました。

 しかしその時は、すでに北斎や広重の浮世絵のグッズは種類が豊富に出ていましたから、「同じものを作っても面白くないですよね」と、特に何も作ることはありませんでした。それから浮世絵プロジェクトを立ち上げ、ビジネスにつながるのはそれから10年も後ですから、なんとも不思議なものです。

 ここまでつらつらと書いてしまいましたが、今思うと今日書かせていただいた彫金の専門学校へ通ったこと、これからお話しさせていただくマネージャー時代や留学、どれ一つ欠けても今のお仕事にはつながっていません。次回はそのマネージャー時代のお話を書かせていただきたいと思います。