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お肉といえば西は牛、東は豚
農耕用の動物が違った

お肉といえば西は牛、東は豚農耕用の動物が違った

 日本人には明治以降、広く肉食の習慣が定着した。急速に広まった肉食文化は西の牛、東の豚に発展する。いったいなぜか。

 下の日本地図は旧日経ネット読者2千人に「お肉と言えば何の肉?」と尋ねた2002年の調査結果だ。奈良、徳島、高知出身の人は100%が「牛」と答えている。くっきりと東西に分かれ、地質上の境界線、糸魚川―静岡構造線が牛・豚の境界でもあることがわかる。食肉の文献をひもとくと、この東西の差は、江戸時代から続く農耕用動物の違いに重なる。牛が中心だった西日本から見てみよう。

 和牛の原点である但馬牛。兵庫県北部にある但馬牧場公園に但馬牛博物館がある。農耕に使っていた実物大の模型が目を引く。日本最古の牛のはにわが近くで出土している。古くから牛が農民の間で大切にされてきたのだろう。

 鎌倉末期に記された日本初の牛の図鑑「国牛十図」を展示してある。図説した牛は箱根より西ばかりで、関東以北はまったくない。1877年(明治10年)の全国調査でも、牛の頭数は西日本に集中している。東日本と九州の南部は圧倒的に馬が多い。

横浜の外国人向け 神戸から牛移送

 渡辺大直館長は「最初に開港した横浜では、外国人が求める牛肉の確保に難儀した。そこで神戸から牛の移送が始まった。日本人の食肉の始まりは西も東も牛肉だった」と解説する。但馬牛のうち厳選した肉質のものが神戸ビーフだが、「横浜の外国人に高い評価を受けたことに始まる」。関西では農耕用から食用への牛の利用が広がった。

 では、農耕用に馬を使っていた東日本はどうか。現在でも長野や福島、青森などでは馬肉文化が残るが、全体では豚肉が主流だ。総務省の家計調査を見ても豚肉の消費量の上位10都市はすべて東日本。

 1956年に書かれた「日本食肉史」(福原康雄)によると、肉食を厳しく禁じられていた僧侶の間でも明治中期から牛肉が流行していた様子が載っている。ところが、日清、日露戦争が起きて軍需食料として牛肉の缶詰が戦地に送られ牛肉不足が深刻になる。そこで特に関東では牛肉に代わって安価な豚肉の消費が拡大していくのだ。

何でも食べる豚 大都市の人口養う

 それでも農耕用の牛を食用に転用した西日本のように、農耕用の馬が主役にならなかった疑問は残る。肉の流通に詳しいミートコンパニオン(東京・立川)の植村光一郎常務はこう分析する。

 「馬肉は量が取れず肉質が固い。そこで牛よりも狭い土地で早く食肉にでき、牛と違って何でも食べる豚が重宝された」。さらに、人口が集中する大都市ならではの理由があった。「当時、メガシティーは世界でニューヨークと東京だけ。大量の食料が必要だったし、残飯も多く出た。豚は残飯を食べ、ふん尿を肥料として使える好都合な家畜として広がった」。つまり、都市の循環システムとして豚を組み込んだというわけだ。

 日本養豚協会によると、生まれてから出荷するまでの期間は約6カ月で、牛の5分の1だ。年に2.2回出産し20~30頭を産む。この食肉としての効率性の良さに加えて、東京で豚肉が流行った理由には新しい料理の登場がある。

 東京・銀座に開業した洋食店「煉瓦亭」は1899年(明治32年)、初めてポークカツレツを考案した。4代目の木田浩一朗社長は「豚肉に生のパン粉をまぶし、天ぷら鍋で揚げた。日本人好みのあっさりとしたカツレツが出来上がった」という。牛肉は庶民には高価なため、安い豚肉があっという間に広がった。さらに、トンカツをご飯に乗せるカツ丼やカツカレーが東京で相次いで登場した。

 関西では、豚肉を使う中華まんの呼び方は肉まんでなく豚まんだ。居酒屋の定番の煮込みは関東では豚モツが主流だが、関西では牛すじ。植村さんによると、経済的に豊かになるにつれ鶏→豚→牛と食肉が変わる傾向が世界的にある。「牛肉文化だった関西は味覚的に成熟しているため、豚肉文化が浸透する余地が少なかった」。牛肉の好みも、「見た目を重視する関東はピンク色だが、関西は熟成したあずき色を好む」そうだ。

 例外が沖縄だ。もともと牛肉文化だったが、琉球政府が牛食を禁じ、中国の豚肉料理の影響もあり豚肉中心になった。那覇市内で焼きてびち(豚足)を出す「くもじ野 彩」の店主、多和田真弓さんは「沖縄で肉といえば豚。『鳴き声以外はすべて食べる』と言われます」と話す。

 地域による食材や食べ方の違いは食文化の豊かさでもある。それは、多様な人間が付き合う楽しさに似ている。

記者のつぶやき
多くの知恵・苦労 残さず食べよう
 JR品川駅から東に3分ほど歩いたオフィスビル街に東京都の食肉市場がある。牛と豚のと場に隣接する食肉業者らが入るビルにあるのが「お肉の情報館」だ。食肉の解体の様子なども展示する。
 食肉の取材をすると、食卓までいかに多くの人の知恵と苦労があるかがわかる。誤った偏見もある。出されたものは残さずにありがたく食べようと思う。
(大久保潤)

[NIKKEIプラス1 2017年2月11日付、日経電子版から転載]

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