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全脳アーキテクチャ若手の会!(8)技術から離れて児童文化研究会に打ち込んだ理由

大澤正彦 authored by 大澤正彦全脳アーキテクチャ若手の会設立者・フェロー、慶應義塾大学大学院理工学研究科後期博士課程
全脳アーキテクチャ若手の会!(8) 技術から離れて児童文化研究会に打ち込んだ理由

 普通の大学生のトップになる。その目標を達成するためには、今まで自分が一番大事にしてきたはずの「技術」を捨てる必要がありました。なぜなら自分はきちんと技術に向き合ってきた自信があったからこそ、「自分には技術があるから、他のことが少しくらいできなくても大丈夫」という甘えがあることに気づいていたからです。だからこそ自分で作った自分への甘えを一度忘れて、大学生として誰よりも充実した生活をすることを目指しました。

 もちろん自分の夢がドラえもんを作ること、という思いに全く変わりはありませんでした。そこで私が考えたのが、「技術から離れるのは研究室に配属されるまでの3年間」という期限を設けることでした。

友人に誘われて入った児童ボランティアサークル

 「新潟に旅行するサークルあるんやけど、一緒に行かへん? 行った先に子どももいるらしいで」

 そう言って私を誘ってくれたのは、入学当初から仲のよかった関西出身の友人でした。不正確極まりない説明にも関わらず「行く」と私が即答したのは、彼と同じサークルに入りたかったこともありますが、一番大きな理由は技術から離れても新しいことをやれていないことに焦りを感じていて、何でもいいから始めてみたいという気持ちがあったからです。

 よくよくサークルのことを聞いてみれば、彼が誘ってくれたのは「児童文化研究会」というボランティアサークルでした。新潟に行くのは活動のほんの一部で、他にも小学校や児童養護施設に行ったり、人形劇や影絵劇を公演したりと多様な活動に取り組んでいました。もともと子どもが好きだった私は、偶然舞い込んできた自分の新たな居場所にワクワクしていました。

浅貝子ども会

 児童文化研究会に入会すると、自分で参加する活動を決めます。新潟に旅行するサークルだと聞かされていた私は当初、まずは1カ月に1回新潟の子どもたちに会いに行く「浅貝子ども会」に参加することにしました。

 浅貝子ども会は、新潟県の越後湯沢駅からバスに揺られて50分ほどの浅貝という地域にある山荘で開かれます。山奥なこともあり、子どもたちにとってあまり遊ぶものが多くない浅貝で、一緒に体を動かしたり工作や料理をしたりして子どもたちと過ごすのが私たちの活動でした。私が浅貝子ども会で出会ったのは、「ありのままの感情」でした。何をするにも全力な彼らのパワーに圧倒されながら、一緒になってはしゃいだりして絆を深めていきました。

 私は工作が得意なので、子どもたちと一緒になって作品を作って、「ほら、できたでしょ?」と自慢して見せます。すると子どもたちは「スゲーーー!」と食いついてきたり、負けじと自分のオリジナル作品を作ってみたりして、ワイワイといつも盛り上がります。1カ月という活動スパンは、彼らの成長を感じるには十分すぎるほどでした。会うたびに大人に近づいていく子供たちの姿ほど、人の成長というものの素晴らしさを魅せてくれたものはありませんでした。

新橋子ども会

 児童文化研究会の活動にもだいぶ慣れたころ、私は子どもたちに会うのが月に1回だけでは物足りなくなっていました。そこで思い切ってほかの活動を増やすことにしました。それが、新橋子ども会でした。都内の小学校で毎週土曜日にひらかれる校庭開放の監視員のボランティアだったのですが、実際には数十人の子どもたちと3~4時間全力で遊びます。

 新橋子ども会で出会った子どもたちは、浅貝子ども会で出会った子どもたちとはまるで違っていました。小学校の立地がよく裕福な家庭の子どもが多かったこともあり、校庭開放にブランド物の服を着てきたり、大量のゲームソフトを持ってきていたり、タブレットやスマートフォンを当然のように使いこなしていました。性格も浅貝子ども会にいた子どもたちと比べると、心なしか大人びているようでした。

技術に触れない不安との葛藤

 私は大学での勉強に取り組みつつ、子どもたちと過ごす時間も充実感に満ち溢れていました。一方で時折耳に入る高校時代の同級生近況を聞くと、今も技術に向き合い続けて活躍していると知って不安な気持ちにもなりました。

浅貝子ども会の子どもたちと雪遊び

 偶然高校時代の担任の先生に会うことがあり、近況を聞かれたときも「子どもたちと遊んでいます!」しか答えることがなく、「もっと技術のことはやってないのか?」と聞かれても当然何もありませんでした。

 思い返せば大学に入ってからの3年間は、あふれるような満足感と、押しつぶされるような不安感の両方を感じながら過ごしていました。自分の選択が正しかったのかは、当時の私には微塵もわかりませんでした。

研究に出会ってすべてがまわり始めた!

 自分の3年間に対する疑問に答えを与えてくれたのは、意外なことに「技術」であり、「研究」でした。3年間自分の中にためた普通の大学生としての経験と、技術から離れた不安は、技術と再会し研究と出会った瞬間に自分が大きく成長するための糧へと変わったのです。

 3年間技術から離れていた分、研究がスタートした当初の私の情熱は特別だったように思います。毎日自分の研究に関係する資料を読み漁ったり、実際に自分で実験してみたりと、何をやっても楽しくて仕方がありませんでした。3年ぶりに技術とまた向き合ってみて、自分がいかに技術を好きか再確認できました。

 全脳アーキテクチャと出会い、全脳アーキテクチャ若手の会を設立したのもちょうどこの頃でした。いろいろな勉強会を探して見つけたなかの1つが全脳アーキテクチャ勉強会だったのです。そして全脳アーキテクチャ若手の会の設立を決心し、コミュニティを大きくしていく上でのコミュニケーション能力は、児童文化研究会の中で身に着けたものが大きかったようにも思います。

人との関わり合いがつくる人の知性

 少しだけ、私の研究の話をしたいと思います。私は、人は人と関わりを持って初めて人の知性を持っていると思って研究しています。自分が「関わり」というものに特に注目できたのは、やはり大学生活で子どもたちと力一杯関わってきたからに違いありません。関わる環境が新潟か新橋かで大きく違う子どもたちの姿や、それぞれの子どもたちが人や環境と関わることで成長していく彼らの姿は、何より自分の研究の軸を与えてくれました。

 それだけではありません。例えば、ヒトの知能を調べる研究において子どもは頻繁に関心の対象になっています。私は子どもに関する研究成果を、自分が一緒に過ごしてきたたくさんの子どもたちと照らし合わせて、人と違う視点で解釈できるのです。

目指すのは、「けんきゅうのおにいさん」

 私はこれまで児童文化研究会を通して何百人もの子どもたちとかかわってきました。一方で大学1年生のときに小学校1年生だった子どもは、今や中学生になっていて、私は運よくその成長の過程に関わることができました。子どもたちとの経験は、これからもずっと大切にしていきたい宝物になっています。

 いつか自分がドラえもんを作った時も、たくさんの世界中の子どもたちにみてもらいたいとぼんやりと考えています。

「ほら、できたでしょ?」
「スゲーーー!」

 そんな今までと同じ会話を将来も子どもたちとできるような、いつまでも子ども達にとっての工作が上手なお兄さんでありたいです。
(おわり)

児童文化研究会の卒業式