日本経済新聞 関連サイト

OK
[ liberal arts-大学生の常識 ]

新ピコ太郎!? 
トルコの塩振りシェフ

新ピコ太郎!? トルコの塩振りシェフ

 サングラスをかけたイケメンの料理人が肉をさばき、華麗に塩を振りかける――。こんな動画が世界で人気を集めている。「ピコ太郎」のように瞬く間に世界に広がり、プロサッカー選手などもそのしぐさをまねするほどだ。400万人がフォローするが、動画以外はあまり露出せずに謎が多い。一体何者なのか。地元トルコでインタビューしてみると、意外な素顔が明らかになった。

米人気歌手のツイートで弾み

 「空港でも、飛行機に乗っていても記念撮影を求められる。正直驚いている」。中東の新興国トルコの最大都市イスタンブールに、SNS(共有サイト)の世界を席巻するスターがいる。

ヌスレットさんは独自の塩振りポーズでネット上のスターに(2月、イスタンブール)

 ヌスレット・ギョクチェさん(34)。サングラスに長髪を束ね、分厚い胸板の上半身は白Tシャツ1枚、下半身はくるぶし丈のコットンパンツにプラダのスニーカー。一見芸能人のようないでたちだが、高級ステーキチェーン「ヌスレット」の、れっきとしたオーナーシェフだ。

 ヌスレットさんはネット上で敬意を込めて「salt bae」と呼ばれる。「bae」とは「before anyone else」の略語で恋人の意味だ。最近ネットや歌詞などで使われるこの「bae」は日本語では「ベ」という発音に近く、「baby」の略という説もある。

ヌスレットさんは国内外で600人を雇用する経営者でもある(2月、イスタンブール)

 インスタグラムのフォロワーが400万人を超す「塩の恋人」が有名になったきっかけはアラブ首長国連邦(UAE)のドバイで撮影した長さ30秒ほどの動画だ。リズミカルにステーキをカットした後、顔の高さに掲げた右手の指先から仕上げの塩を粉雪のように振りかける姿がユーモア抜群として話題になった。

 以前からキッチンでの調理風景などの動画が人気だったが、2017年1月に米人気歌手のブルーノ・マーズさんがツイッターで取り上げたことをきっかけに世界中に拡散した。ネット上には模倣動画があふれ、ゴール後に塩振りポーズを決めるプロサッカー選手まで現れた。

 ヌスレットさんによると、塩振りのポーズは日々の接客を通じ「相手の食欲を刺激し、食事をより楽しんでもらうために自然に生まれた」という。「画家が作品に記すのと変わらない、私の署名のようなものだ」と誇らしげだ。

子羊のあばら肉を焼くヌスレットさん(2月、イスタンブール)

 店に出れば記念写真を求める客の列がたちまち発生。本人のあずかり知らないところで、スマートフォンのケース、Tシャツ、スマホ用のゲームアプリなどが続々と出回っている。ヌスレットさんはこうした動きを気にするどころか、「トルコはテロやクーデター未遂など暗いニュースが多い。明るい話題を提供できてうれしい」と前向きにとらえている。

13歳から精肉店で働き海外でも修業

 いまや、ネット上での名声をほしいままにするヌスレットさんだが、小卒で働きに出ることを余儀なくされたたたき上げの経営者でもある。幼少期に鉱山労働者だった父親の決断で東部エルズルムからイスタンブールに移住。経済的な理由から精肉店で働き始めた時はまだ13歳だった。

レストランでは記念撮影を求める客が殺到する(2月、イスタンブール)

 「生活のために始めた仕事だが、やればやるほど好きになった」。約15年間、1日15~18時間の労働を続け、肉の目利きやカットから保管、熟成、ステーキ店での調理や接客まで「肉を扱うために必要なすべてを身に付けた」と振り返る。

 アルゼンチンや米国での海外修業を経て09年に独立。その後、精肉店時代の顧客だった企業経営者の支援でイスタンブールの高級住宅街に自らの名を冠したステーキ店を開いた。店舗網の拡大に向け、12年には大手財閥の出資を受け入れ、15年には500万ドル(5億6千万円)を投じた加工センターが開業した。

自社の加工センターには壁画も描いた(2月、イスタンブール)

 「今でも、座って食事することなんてないよ」というヌスレットさん。現在はトルコ国内で6店舗、ドバイとアブダビの海外2店舗を構え総勢600人を雇用するまでに事業を拡大した。年内にニューヨークとロンドンに出店することも決まっている。「ニューヨークやロンドンを軌道に乗せた後は東京やシンガポールなどのアジア市場に出店したい」

 この動画は面白い、という有名人のつぶやきが爆発的なスピードで国境を越えるのは、ピコ太郎も同じだった。ヌスレットさんの場合はタイミングの偶然の一致とみられるが、ネットの拡散を利用するマーケティングは侮れない。ちょっとした塩の一振りが、世界を変えることもある。
(イスタンブール=佐野彰洋、佐竹実)[日経MJ2017年3月8日付、日経電子版から転載]

「日経College Cafe」のお勧め記事はこちら>>