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タックスヘイブンの末路
金融に呪われた島ルポ

タックスヘイブンの末路金融に呪われた島ルポ

 タックスヘイブン(租税回避地)の実態を暴く「パナマ文書」の公開から1年。企業や富裕層の行きすぎた租税回避に批判が集まり、国際ルールの整備が進みつつある。3月12日には日本とパナマの租税情報交換協定が発効。世界各地に点在するタックスヘイブンはどうなるのか。かつてタックスヘイブンの「老舗」といわれ繁栄した英王室属領ジャージー島の今の姿が、その答えを暗示する。現地でタックスヘイブン政策の功罪を探った。

「破綻寸前」の島

 平日の午後、ジャージー島一番の繁華街「キングストリート」は、仕立ての良いスーツに身を包んだビジネスマンや着飾った女性らであふれていた。石畳の通りの両脇には有名ブランドの宝飾店や富裕層向けプライベートバンクの支店、高級スーパーが立ち並ぶ。不動産業者のガラスケースには、庭付き豪邸の広告がずらり。

大手銀行の支店や高級スーパーなどが並ぶジャージー島首都セント・ヘリアの繁華街

 「とても人口10万人の小島とは思えない」と褒め言葉のつもりで口にしたが、案内役を務めてくれた地元議員、モンフォート・タディア(37)は浮かない顔で首を振った。「実際は破綻寸前なんだ。多くの人が知っている。でもみんな目を背けている」

 ロンドンから飛行機で約1時間、面積は東京・山手線の内側の約2倍の120平方キロメートルしかない小さな島だ。国のようで国でない「英王室属領」。外交や防衛を英国に委任する一方で、独自の法律に基づく自治権を持ち、司法の独立も認められている。

 優良な乳牛「ジャージー牛」の原産地として知られるが、欧州ではもうひとつの有名な顔がある。法人税がゼロの老舗のタックスヘイブンという顔だ。パナマや英領ケイマン諸島など世界各地の他のタックスヘイブンと同じように、英国本土や欧州大陸から多額のマネーや富裕層を引き付け、過去数十年にわたって繁栄を手にしてきた。

 だが2015年春、ジャージー島政府は衝撃的な将来予想を公表した。「19年までに、1億4500万ポンド(約200億円)の予算不足が生じる可能性がある」。島の年間予算規模の2割近くに上り、財政を揺るがしかねない額だった。その後政府は「あくまで計算上の数字にすぎず、支出削減など対策を講じれば実際にはそんな事態に陥らない」と釈明したが、住民らの不安は消えていない。島の経済を担ってきた金融産業の不振と法人税収の激減は、まぎれもない事実だからだ。

 キングストリートにほど近い石造りの建物の事務所で、社会福祉団体の中年夫婦がため息をついていた。妻のメラニエ・スコールディングは、「悪い方向に向かっているのは確かだと思う。失業者も増えた。いつの間にかアルコール中毒の若いホームレスも目にするようになった」。夫のステファンは隣から「彼らに食事の配給をしていると、その脇を高級車のランボルギーニに乗ったお金持ちが通り過ぎていく。貧富の差が広がり、島全体が力を失っているように感じる」とつけ加えた。

 島の議会近くのパブで昼食を取っていた別のベテラン議員、ジェフ・サザンは「島の将来は不透明だが、確かなことがひとつある」と断言した。「金融産業が島に十分な利益と仕事をもたらし、島民はわずかな税金だけで幸せな生活が手にできる、そんな時代はもう終わるということだ」

 卓越した成功を収めてきた島は、どこで歯車が狂ったのか。サザン議員は島の歴史を振り返りながら説明を始めた。

税とルールから自由な「天国」

 ジャージー島がタックスヘイブン政策に舵を切ったのは1950年代といわれる。島内の地場企業の法人税率を20%に設定する一方、島外の企業の法人税はゼロとした。70年代以降、その存在が特に注目され、欧米やアジアなど世界中の金融機関がこの島に支店を次々に開設した。海岸沿いの大通りには、シティ、デロイト、PwCなど名だたる金融機関や会計事務所が入るビルがずらりと並び、日本の銀行も看板も掲げる。

島内には日本の金融機関の看板も見える

 外資大手の進出とともに、地場の会計事務所や法律事務所、地元銀行にも付随した仕事や雇用が生まれ、島の経済は潤った。個人の所得税率は最大20%。相続税はなく、株売却のキャピタルゲインも非課税だ。一方で英国本土では60年代以降、富裕層への所得税の最高税率が90%前後で推移する極端な税制が続き、減税策を取ったサッチャー政権下でも企業や富裕層の重税感は収まらなかった。嫌気がさした富裕層は続々と島に移り住んだ。島の公用語はもちろん英語。紙幣のデザインが違うだけのポンドで何もかも決済できる。

 島に流れ込むマネーの中には海外の政治家や企業の不正に関係する資金も混じると噂されたが、多くの人はその話題に触れようとはしなかった。目の前に表れた成功がまぶしすぎた。50年代に5万人台だった人口は、14年までに10万人を突破。首都セント・ヘリアには真新しいビルが建ち並び、国家予算は数倍に膨れあがった。

狂ったシナリオ

 だがひとつの国際ルールの変更がシナリオを狂わせた。EUは97年、「外資企業と国内企業の税率に差を設けてはならない」という新たなルールを決めた。ジャージー島はEU非加盟だが、単一市場にアクセスしてビジネスを続けるためには新ルールに従うことが必要だった。税率ゼロ%で外資を引き付け、そこに発生する付随ビジネスで利益を得た島内企業に法人税を課すことで財政を賄うのがジャージー島のモデル。新ルールはこの仕組みの根幹を揺るがすものだった。10年間の猶予措置の後、転落が始まった。

長年、島の経済を支えた金融産業はかつての勢いを失っている

 EUルールに合わせるため、島政府は外資と島内企業の区別をやめ、「ゼロ-10(テン)」と呼ばれる新税制を開始した。基本の法人税率をゼロ%とし、金融業者は10%の法人税を払う。新ルールに適合しながらもタックスヘイブンとしての地位を失わないため、島内企業からの法人税収の多くを犠牲にする苦肉の策だった。

 08年に2億3300万ポンドあった法人税収は、10年には8300万ポンドに激減した。同時に「ブラックホール」とも呼ばれる、恒常的な財政不足の問題が出現したという。島は消費税を新設するなど新たな財源を模索するが、08年のリーマン・ショックが追い打ちをかける。経済の柱だった金融産業の利益は落ち込み、雇用も減った。かつて1%台を誇った失業率は11年に4.7%まで悪化。英シンクタンクが発表する世界の金融センターランキングは、08年はルクセンブルクなどよりも上位の16位だったのが、16年春には62位まで転落した。

 15年の「財政危機宣言」以降、島政府は教員を含む一部の公務員を解雇するなど支出削減策に着手している。だが今後、税収不足がどこまで広がるのか。公共サービスをどこまで削減することになるのか。明確な答えは示されていない。

 議員のサザンは「金融産業に変わる、島の経済の柱を育てる試みもうまくいっていない」と話す。かつての主要産業だった観光業や農業は既に衰退してしまった。島政府は海岸沿いにインキュベーション施設を新設し、IT(情報技術)産業などの誘致を試みるが芳しい成果はみられない。島に長年続いた物価高などが障害になっているという。

金融の呪い

税務調査のNPO「タックス・ジャスティス・ネットワーク」のジョン・クリステンセンはこの島で生まれた

 「これは『金融の呪い』だ」。ロンドンに拠点を置き、税金問題を調査するNPO「タックス・ジャスティス・ネットワーク」代表のジョン・クリステンセン(60)は、島の現状をそう表現する。「資源の呪い」という経済用語になぞらえた。原油などの天然資源に恵まれた国が、資源依存型の経済発展を選ぶことで、長期的には逆に社会や経済が脆弱化してしまう現象を示す言葉だ。

 なぜ「呪い」が起こるのか。多くの経済学者は、ひとつの有望な産業に人材や投資が偏ることで他の産業が衰退してしまうことや、長年の潤沢な国家収入への甘えが放漫財政を招いてインフレ体質社会となり、人々の生活への圧迫や新規産業の育成の難しさにつながることが理由と考えている。

 実はクリステンセン自身もこの島で生まれ育ち、98年まで約11年間、島政府の経済アドバイザーとして経済政策に深く関わった。当時から「産業の多様化が必要だ」と訴えたが聞き入れられず、退職。タックスヘイブン政策に反対するエコノミストらとNPOを創設した。

 「タックスヘイブン政策の最も悪い点は、他国の自由経済に迷惑をかけるだけではない。自国の経済や社会も回復不能なほどまでむしばんでしまう」とクリステンセンは強調する。「悲しいことに私のふるさとが、そのことを証明しつつある」

国際ルールの強化進む

 パナマ文書問題以降、タックスヘイブンには情報の透明化を迫る国際ルールが突きつけられている。3月12日には日本とパナマの租税情報交換協定が発効し、両国は今後、金融口座情報を定期的に自動交換する。さらに18年には「共通報告基準(CRS)」と呼ばれる同様の枠組みに100以上の国や地域が参加する予定だ。

 一方、米国ではトランプ大統領が法人税15%への引き下げを公約に掲げた。英国もそれ以上の法人税率引き下げに積極的な姿勢を見せるなど、先進国間で税率引き下げ競争の兆しも出ている。

 パナマや英領ケイマン諸島、英領バミューダ諸島など、タックスヘイブンと呼ばれる国や地域が世界中からマネーを引き寄せた力の源泉は、低い税率と高い秘匿性だった。だが税を巡る国際社会の最近の動きは、こうした優位性を確実に失わせつつある。彼らもまた「呪い」にかけられ、落日の運命をたどるのか。

 故郷の島の中でクリステンセンが最も気に入っている場所は、繁華街キングストリートの裏手で昔ながらの風情を残す中央市場だという。アーチの骨組みの天井が美しい市場を訪ねると、25年以上も青果店を営むジョン・ナシエ(61)が店先で話し相手になってくれた。「景気は悪いままだよ。物価は上がり、生活は楽じゃない」。かつては島内で数店の支店を出していたが、高級スーパーなどとの競争に苦戦。今ではこの1店を残すだけという。島の将来について聞いてみた。「難しいことは分からない。けれど、ただ不安なんだ」

=敬称略

(植松正史、写真も)[日経電子版2017年3月1日付]

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