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[ skill up-自己成長 ]

「わたし」が生まれた、横須賀(1)やりたいことの9割は、
感性を分かち合う先にある

八村美璃 authored by 八村美璃中央大学法学部法律学科3年
「わたし」が生まれた、横須賀(1) やりたいことの9割は、感性を分かち合う先にある

 はじめまして! 八村美璃(はちむら・みり)と申します。先日成人式を迎えたハタチ、春から中央大学法学部の3年生になりました。地域活動や司法試験に向けた研究室での勉強、奨学金の活動、バイトの数々......と、なんともよくばりすぎる学生生活を送るわたしが、今年さらなるチャレンジをします。

 「G1カレッジ」の代表として活動することになったのです。社会の第一線で活躍するボードメンバーの方々、そして選抜された250人の仲間と共に、10年後、20年後に向かって行動していくこのコミュニティ。2年前に初参加し、昨年は運営メンバーとして、そして今年は初の女性代表として3度目の秋を迎えることに。

 そんな場所へ導いてくれた経験として最もよく知られているのが、高3の時に仲間6人で始めた「ヨコスカネイビーパーカー」という地域プロジェクトです。指定校推薦で大学に合格してからの3カ月が、たくさんの出会いと大きな気づきをプレゼントしてくれました。この連載では、「ネイビーパーカー」を始め、わたしの今を創ってくれた様々なストーリー、そして全ての出来事に通ずるデザイン思考とこれからのビジョンについて、みなさんにシェアしていきたいと思います。

八村さん(成人式で)

自らの感性で、みんなを巻き込む

 小さい頃から、自分の感性を表現することが大好きなわたし。耳に残った曲を弾いてみたくてピアノを触るうちに、いつのまにか楽譜がないのに即興演奏ができるように。この特技を活かして、小学校に入学した時にはクラスの歌を作曲し、朝の会で歌ったりしていました。

 「ドラマに出てくる『のだめ』みたい」なんて言われることが増えた10歳の時には、毎日レッスンに通い、関東大会で3位を受賞します。しかし、「ピアニストが目標じゃない」と感じていたわたしにとって、音楽とは「自らの感性でみんなを巻き込み、一緒に心地よい空間を創る」というひとつのデザインなのだと、ある時気づいたんです。コンクール出場を辞めた後は、ピアノだけでなくダンスや和太鼓に挑戦したりと、音楽で自分を表現する幅を広げました。

 今でも、歌うことが好きな弟と一緒にYouTubeへ投稿したり、結婚式やホームパーティーで弾き語りをさせてもらったりしています。自分にしか出せない音を表現できる喜び、そしてそれをみんなで分かち合える喜びは、いつまでもわたしの原点です。

みりと、りんたろうで「みりん」です

「わたし」が生まれた、横須賀

 中1の秋。13年間ずっと住んできた川崎を離れ、生まれ故郷である横須賀へ引っ越すことに。使ってる教科書も、制服も、何もかも違う。何も知らないわたし、みんなが知らないわたし。新しい家に帰れば涙々の毎日、だけど、心のどこかにスタートラインを楽しむ自分がちゃんといました。そして、転校したてにも関わらず学年伴奏に抜擢してもらったことが、存在感を発揮できるきっかけになりました。

 環境が変わっても、音楽というデザイン方法で自らの可能性を拓けるという確信に繋がりました。でも、わたしにとっての「デザイン」の手段はまだまだあるのかもしれない、そんな自信を与えてくれたのが、演劇部への入部でした。

 前の中学では吹奏楽でサックスを吹いてのに、映画「ハイスクールミュージカル」で演劇部の部長を努めるシャーペイというキャラクターが好きだったことが、転身の理由でした(笑)。部員2人で休部寸前だったものの、まるで「ルーキーズ」のように部員を増やし、みんなで部活をデザインしていった結果、最後の夏の大会でまさかの歴代初優勝。個人演技賞も頂くことができたのは、オタク男子役や、おばあちゃん役、色んな役に飛び込むことで「自らの感性でみんなを巻き込み、一緒に観たい景色を創る」という新しいデザインの仕方を身につけたからかもしれません。川崎にいたときよりも、もっと自分らしい自分でいられる。気づけば横須賀が「地元」になっていました。

いつでもスタートさせてくれる、横須賀の海

二兎も三兎も、追っていい

 「横須賀でなら、もっと進化できる」。そうして選んだ第一志望校は、地元の横須賀高校。「横高」が憧れの学校に変わった瞬間は、当時の校長先生との出会いでした。誰もいなくなった説明会の終わり、学校の年表を一緒に眺めながら交わした言葉の数々。

 「総理大臣、オリンピック金メダリスト、ノーベル賞受賞者、三者すべてを輩出したのは唯一この学校だけだ。この年表の先に、きっと君の名前が載るよ」
「二兎も三兎も追っていい。追った人だけが手に入れられるんだ。うちへ来なさい」

 まるでお告げのようなこの言葉を実現するため、部活に生徒会にと直前までよくばりスタイルを貫き、受験に挑みました。塾に通わなかったのは、メイクやファッションを楽しむのと同じく、勉強も自分の選択肢を増やすためのデザイン方法だったから。

 こうして晴れて合格したものの、真っ先に会いたかった校長先生は、わたしの入学と入れ違うように天国へ旅立たれてしまいました。もう一度会うことは叶わなかったけれど、あの時の言葉、そして「自らの感性でみんなを巻き込む」無限大のビジョンに向かって、高校生活というまた新しいスタートラインに立ったのでした。

 次回はわたしの高校生活と、冒頭で触れた地域プロジェクト「ヨコスカネイビーパーカー」の始まりについてお話します。ぜひ、お楽しみに!