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[ liberal arts-大学生の常識 ]

夢は宇宙飛行士 それでも
東大蹴って慶応医学部に
医療ベンチャー佐竹晃太さん(上)

夢は宇宙飛行士 それでも東大蹴って慶応医学部に医療ベンチャー佐竹晃太さん(上)

 医療アプリ開発ベンチャーのキュア・アップ(東京都中央区)。創業者で臨床医の佐竹晃太氏(34)は、慶応義塾大学医学部の出身。その慶応医学部は、大学医学部発の医療ベンチャーの育成に本格的に取り組み始めている。佐竹氏は、そんな母校の強力なバックアップを得て、日本初となる医師処方による治療用アプリの薬事承認を目指す。

 子供のころ、宇宙飛行士の向井千秋さんに憧れた。

 医学部に進もうと思ったのは、まず、先に医学部に進学した3つ上の兄の影響があります。当初は医学部への受験をあまり考えていなかった私でしたが、兄から「お前も医学部に来たらどうだ」と言われたことがきっかけでした。当時兄をよく慕っていたこともあり、医学部の受験を決めました。

 もう一つは、当時、宇宙飛行士として活躍していた向井千秋さんの存在です。小さいころから宇宙に興味のあった私は、向井さんがスペースシャトルで宇宙に行くニュースを見て、自分も宇宙飛行士になりたいと思っていました。向井さんは慶応医学部出身。だったら、理工学部より医学部行って宇宙を目指す方がよりエッジが効いているから、向井さんのように宇宙飛行士になれる可能性がより高いかもしれない。そんな子供っぽい動機で、慶応医学部を受験しました。

 当時、慶応医学部は1学年約100人で、うち付属高からの内部進学組が約40人、受験組が約60人。受験組のうち現役組はその半分という狭き門です。高校は桐朋高校(東京都国立市)でしたが、私の成績では慶応医学部はかなりハードルが高く、受験勉強は相当しました。ただ勉強すること自体は全然苦ではなく、むしろ楽しんでやっていました。

 結果、現役で合格しましたが、実は、医学部で受けたのは慶応だけ。大学で宇宙の勉強をしたいという気持ちも強く、東京大学理1と私大の理工学部も受験しました。東大理1にも受かったので、迷いましたが、最後はやはり向井さんへの憧れが勝りました。もし慶応に落ちていたら、まったく違う人生になっていたと思います。

 大学ではヨット部に所属した。

慶応医学部在学中は部活のヨットやイベント企画に熱中、「何か新しいことを企画するのが好きでした」と振り返る

 慶応医学部は、私学医学部最難関と言われるだけのことはあり、周りの学生はみんな優秀でした。私の印象では、私のような一発勝負の受験組よりも、高校時代にトップの成績を取り続けないと医学部推薦を勝ち取れない内部進学組のほうが、できる人が多かったように思います。

 私自身は、せっかくの大学生活を楽しもうと、医学部体育会ヨット部に入部しました。慶応医学部のヨット部は、医学部体育会の大会で毎年優勝争いに絡み、最低でも表彰台には乗るほどの強豪。ですから、練習は非常にハードでした。毎週土日は、神奈川県藤沢市の江の島で合宿。平日も、4月から大会のある夏までは、何日かは東京から江の島に通っていました。春から秋までは、ヨットが生活の中心になりました。

 部活が休みになる冬は、医学部の友達とよくいろいろなイベントを企画したり、旅などをしたりしました。特に面白かったのは、他の大学の学生を交えたイベントの企画。私と友人の2人で企画したのがきっかけでしたが、ふたを開けると結局100人以上が参加し、大盛況。とにかく、自分でなにか新しいことを企画するのが好きでしたね。

 そんな毎日でしたので、正直、勉強はあまりしませんでした。授業も、暗記科目が多いため、面白味を感じず、単位をとるのに必要だから仕方なくという意識が強かったと思います。

 部活にかこつけて授業もサボりがち。試験の成績が悪く追試を受けたこともよくあります。それでも何とか卒業できたのは、学生の自主性を尊重する慶応医学部の校風のお陰だったのではないかと思います。

 大学4年の時に米国に旅行。その後の人生に大きな影響を与えた。

 宇宙への憧れと同じくらい強かったのが、海外への憧れでした。そのきっかけとなったのが、大学4年の時、休みを利用して友人と2人で米ロサンゼルスに旅行に行ったときの出来事でした。旅行中、私はまったく興味がなかったのですが、友人が行きたいと言い張るので、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のキャンパスを訪ねました。

 広大で緑あふれるキャンパス。開放的で自由な雰囲気の中、カリフォルニアの陽光を浴びながら、青々とした芝生に寝そべり、楽しそうにおしゃべりする学生たち。初めて味わう感動でした。そのとき「将来、絶対ここに戻ってこよう」と心に誓いました。

 この体験で、海外に住みたいという思いが一層強まりました。それ以降、その時に備えて、英語や中国語を自分でコツコツと勉強したり、交換留学生の米国人と仲良くなり、よく一緒に遊んだりもしました。

 後述する通り、私はその後海外留学しますが、それはこの旅行での体験が大きく影響しています。その留学が起業のきっかけとなっているので、その意味では、大学4年の時の米国旅行は私の人生を左右する大きな出来事でした。
(ライター 猪瀬聖)[日経電子版2017年4月24日付]

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