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[ career-働き方 ]

食の訪問記(9) 蒲刈物産(上)古墳時代の製塩土器から生まれた
藻塩とは?

平井幸奈 authored by 平井幸奈株式会社フォルスタイル代表取締役CEO
食の訪問記(9) 蒲刈物産(上) 古墳時代の製塩土器から生まれた藻塩とは?

 ブリュレフレンチトースト、フォル・グラノーラ、ドラフトコーヒー......。美味しいを生み出す食のプロデューサー、株式会社フォルスタイル代表取締役の平井幸奈です。本企画は私が日頃から注目している日本を代表する食のブランドを訪問し、体当たりでインタビューする企画です。愛される"日本の一流の食"の秘訣、伝統の守り方・育て方、新しい食文化の作り方、そして新たなる挑戦と描いている未来についてじっくりとお話を聞いていきます。

 4カ所目の訪問先は、「海人のお塩」で知られる蒲刈物産です。美しい瀬戸内に面した広島県呉市蒲刈町。壮大な自然に恵まれたこの町で、「海人の藻塩」は作られています。海藻と海水から作られたおいしい藻塩。海に従事する人のことを海人と呼ぶことから、「海人の藻塩」と名付けられたそうです。色も味も通常のお塩とは一味も二味も違う藻塩です。専務取締役の高橋大海さんと工場長の石井裕和さんに話を伺いました。

高橋専務(左)と石井工場長(右)
会社概要
蒲刈物産株式会社
事業内容:塩の製造販売
設立:1998年
従業員数:19人
売上高:234百万円(平成28年度)
1999年第13回ニッポン全国むらおこし展通商産業大臣賞受賞
2002年平成13年農林水産省優良ふるさと食品中央コンクール優秀賞受賞

訪問のきっかけ

 海人のお塩の生産地は、広島県呉市蒲刈です。祖父母の家の隣町である蒲刈にはよくドライブに連れて行ってもらっていました。綺麗な海沿いでピクニックをしたり、キャンプをした思い出があります。その蒲刈で作られている海人のお塩は、食卓に当たり前のように置かれていました。上京してからも、百貨店やレストランなど、その海人の塩をあちこちで見かけ、広島だけではなく日本全国で愛されていることを知りました。今回はそのお塩の魅力に迫ります。

平井 塩分の取りすぎは身体によくない! と巷では騒がれています。しかし「海人の藻塩」はその心配がないと聞きました。半信半疑なのですが、詳しく教えてください。

高橋 我々が作っている海人の藻塩は、全て天然由来のもので作っています。塩にもいろんな製法があるんです。うちの藻塩は海水をそのまま煮詰めていくという方法で作っているので、海水中の全てのミネラルをたっぷり含んだ塩に仕上がっています。

平井 ミネラルに含まれるカリウムの作用によって、塩分とともに老廃物が出ていく。つまり塩=高血圧の危険の概念が覆されるということなのですね。

石井 通常、塩はテーブルに直にのせておいても溶けないのですが、うちの藻塩はテーブルにのせると2、3日で海水に戻ってしまいます。ミネラルが水分を吸収するのです。

平井 そもそも藻塩とは、どのようなお塩のことを言うのですか。

石井 藻塩とは、かつて玉藻と呼ばれていたホンダワラなどの海藻を使用してつくった塩のことです。

平井 味は辛さに尖がなく、口あたりはまろやかですよね。色もベージュ色で見るからに、通常のお塩と違います。

海人の藻塩 100gスタンドパックは¥432(税込)

高橋 そうなんです。淡いベージュ色なのは、海水と海藻だけの旨味が凝縮されている証拠です。藻塩の特徴を3つにまとめると日本で最も古い製法で、最も長く作られていて、最もミネラルの多い塩であるということです。

きっかけは古代遺跡の一片の製塩土器から

平井 「日本で最も古い製法」詳しく教えてください。

高橋 はい。もともと藻塩づくりは、1984年に古代遺跡から出土した古墳時代の一片の製塩土器から始まりました。

左が石井工場長、右が高橋専務

平井 一片の土器ですか。古墳時代であればその製法を伝える書物なども残ってなさそうですよね。

高橋 そうなんです。製法を解明するまでの道のりは、それは険しいものでした。地元の考古学者の松浦宣秀さんが、その製法を再現する研究に30年という長い月日をかけられました。

平井 30年も! 最終的に何を手掛かりに藻塩の製法にたどり着かれたのですか。

万葉集に詠まれている「藻塩」

高橋 「藻塩」という言葉が、万葉集に詠まれている海や塩の歌にいくつか登場することに着目し、「玉藻」という言葉から玉の付いた藻、つまり藻塩の原料になるホンダワラにたどり着いたのです。この古代土器製塩法は、全国の考古学関係者や塩づくりの権威者による考古学会からも認められ、大きな注目を集めました。

平井 一片の土器から、30年もかけてその製法を研究されたなんて、ロマンがありますね。製法ができて、その後どのように事業化されたのですか。

高橋 蒲刈町と朋和商事㈱が第三セクターとして蒲刈物産㈱を設立し、藻塩づくりが始まりました。当時は地元の多くの方に支えられていた一方で、町の議会も含め藻塩の事業を始めることに反対されていた方も多くいらっしゃいました。その反対を押し切って事業を推進するとなると、当時は相当なプレッシャーがありましたね。

海人の藻塩ウェブサイト