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[ career-働き方 ]

食の訪問記(11)伝統製法を守りながら
時代に合わせた商品を提供

平井幸奈 authored by 平井幸奈株式会社フォルスタイル代表取締役CEO
食の訪問記(11) 伝統製法を守りながら時代に合わせた商品を提供

 ブリュレフレンチトースト、フォル・グラノーラ、ドラフトコーヒー......。美味しいを生み出す食のプロデューサー、株式会社フォルスタイル代表取締役の平井幸奈です。本企画は私が日頃から注目している日本を代表する食のブランドを訪問し、体当たりでインタビューする企画です。愛される"日本の一流の食"の秘訣、伝統の守り方・育て方、新しい食文化の作り方、そして新たなる挑戦と描いている未来についてじっくりとお話を聞いていきます。

 5カ所目の訪問先は、きぢ醤油です。創業134年。広島県呉市に工場を構えるきぢ醤油。代表商品「誂え」は通常の二倍の手間暇をかけ少量生産にこだわって作り上げています。守り続けている濃厚でまろやかな味は有名料理人をも虜にし、日本全国に熱烈なファンがいます。漫画「美味しんぼ」にも掲載され、注目を集めている老舗醤油屋さんです。

インタビュー中の今井社長
会社概要 きぢ醤油株式会社 事業内容:醤油の製造販売 設立:明治16年
従業員数:9人 売上高:6000万円 代表取締役 今井明正

訪問のきっかけ

 私の地元、広島県呉市。市役所の方に広島で、日本で誇れる食材は何でしょうかとお伺いしたところ、醤油であれば「きぢ醤油」と即答されました。私の祖父母の家の近所に製造所のある、きぢ醤油。私自身が子どものころから慣れ親しんできた食卓のお醤油です。こんなにも身近に、日本の誇るべき食材があるとは?! 今井明正社長にお話をお伺いしました。

平井 きぢ醤油の名前の由来を教えてください。

今井 醤油というのはね、材料が大豆と小麦と塩なんですよ。"きぢ"とは本来、「生地」と書きます。醤油の業界では搾ったそのままのもの、生醤油を「生地」と言います。つまり我々は、加工しておりません。不要なものを加えておりません。搾ったまま薄めていない原液ということなのです。

平井 一般のお醤油は「生地」から薄められるのですか。

今井 JASの規格でここまでは塩水で薄めてもいいですよという基準があるんです。でもうちは一切そういった物を入れていません。

平井 だからきぢ醤油さんの代表的な商品は、他の商品と比べて色も味も、深みがあると感じられるのですね。

「再仕込み醤油」とは?

今井 醤油の中には基本的に5種類あるんですよ。濃口醤油、淡口醤油、白醤油、溜り醤油、再仕込み醤油です。きぢ醤油は日本の再仕込み醤油という分野で最もシェアの高いメーカーです。

平井 濃口醤油、淡口醤油などは馴染みがありますが、「再仕込み醤油」は初めて聞きました。

今井 一般的な醤油は塩水で仕込むんですけど、再仕込み醤油は生の醤油で仕込むんです。通常の2倍の年月と手間はかかりますが、塩辛みが少なく、丸い味で旨味が濃い醤油ができあがります。搾ったまま割水などを加えない濃厚な醤油は、全国的に見て希少なものです。社名に醤油づくりの誇りと伝承者への戒を継承するため、あえて"きぢ"と命名されたのです。

平井 社是の「贅沢な醤油」という言葉もそこに由来しているのですね。

今井 手間暇をかけ、添加物を入れないというところですね。極力天然のもの、発酵で得たものを使っていきたいんですよ。

平井 この場所で始まった理由を教えてください。

今井 醤油屋さんというのは山の中にないんですよ。ほとんど海岸、海の近くなんです。要するに原材料の塩が手に入りやすく、交通の便が良いということですね。

平井 昔は船で輸送されていたということですか。

今井 そうです。特に明治時代は調味料が醤油しかなくて、必需品だったんですよ。そんな中アメリカのGHQが日本の食文化を破壊するために、醤油製造に使用する大豆の輸入を規制して、1500以上の地方の醤油醸造元を閉鎖に追い込んだなんてこともありました。それでもうちはアメリカに抵抗して、いち早く本醸造に戻したんですよ。

江戸時代から使っている木桶には、いい菌が住んでる

平井 逆境の中でも「きぢ」を守られてきたのですね。

今井 夏になると、夜中の静寂時にね、醤油がピシャリピシャリといい音を立てて、発酵してるんですよ。そういうのがね、楽しみでね。五感をフル活用してまるで子供を育てるように気の長い愛情を加えるんです。

平井 社長も現場に立たれるのですね。

今井 もちろんです。とはいうものの、醤油は人間が勝手に作れないんですよ。全部菌に頼るんです。いいものを作るのではなく、製造工程を間違えずに踏むのが醤油屋なんですよ。醤油は生き物です。いいものを作りますといっていいものはできないんです。要するに大豆と小麦と塩を最終的に、間違わずに、いいものに育てることが醤油屋の宿命なんですよ。

平井 日本の四季や気候、自然の変化の中で、品質を保つことはとてつもなく労力がかかるのだろうと思います。

今井 職人の経験とそこで培った勘を使う。有用な菌と雑菌との勝負です。これを楽しむのが職人気質ですよ。その中で、いい麹ができていい醤油ができた時にはね、一人で乾杯ですよ。

平井 機械化しようとは思わないのですか。

今井 はっきり言って今の時代、醤油なんてボタン1個でできるわけですよ。でも我々は自然を相手にしている。きぢ醤油は機械化しては作れません。気温とか湿度とか日々変わり行く自然と共に、添加物を入れず、伝統きぢ醤油を作っています。我々は常に少量生産にこだわっています。

平井 この木桶はとても古いですよね。

今井 江戸時代から使っている木桶です。この木桶にはきぢ醤油づくりにいい菌が住んでるんですよ。

売れる醤油がいい醤油

平井 きぢ醤油さんの商品は、広島ではほとんどのスーパーと百貨店、関東圏でも高級スーパーや百貨店で取り扱われていますよね。

今井 そうですね。代表商品は「誂え」です。

平井 再仕込み醤油の風味豊かな代表商品ですね。「誂え」は、従来の瓶入りの商品だけではなくペットボトル式の商品もありますね。

今井 そうなんです。それはまさに時代に合わせて作った商品です。醤油業界は戦後、他の調味料が幅広く展開されるようになり、急激に衰退しました。醤油はいいものが売れるのではなく、売れる醤油がいいんですよ。時代のニーズに合わせて売れる醤油を作っていかなくてはいけません。例えば酒であれば、そのものを飲みますから美味しい酒が売れますよね。でも醤油は違う。

平井 確かに昔は醤油がある種の万能調味料として加工して、今よりも幅広く使われていたのかと思います。ダシをとって、醤油と合わせてめんつゆを作ったり。祖母は今でもそのように醤油を使っていますね。

今井 そうなんです。しかしそのように万能調味料として醤油を使われるのは、お年を召した方だけです。若い人はそもそも料理を作られる方が少なくなりました。人間の嗜好は時代の変遷により変わってきます。特に日本人は行列をつくって飛びついたかと思えば、またすぐにさじを投げる。「良いもの」の基準というのは難しいけれど、固執しすぎず変えていかなければならないと考えています。あまりにも固執しすぎると本質を見失います。

平井 守るべきもの、つまりきぢ醤油の中でも「誂え」を守るために、時代に合わせた展開もされているということですね。柔軟に商品幅を広げられ、容器なども工夫されているんですね。

今井 めんつゆを出したり、地元とコラボして広島のレモン醤油を出したりしています。そして容器に関しては、近年、中が二重になっているこの容器が主流なんですよ。二重構造によって、醸造物である醤油の酸化を防ぐことができる。醤油業界全体がこの容器を取り入れるようになって、縮小する一方であった醤油業界のシェアは少しずつ拡大していっています。

平井 まずはハードルを低く、若い人でも親しみやすい商品から入って、それから「誂え」まで知ってもらう流れをつくれたら理想なのですね。

今井 そうです。醤油も伝統文化みたいになっていきますからね。本質的に、日本の醤油を守っていきたい。日本の食文化を守りたい。醤油本来の姿を残していきたいと。これが私の使命です。