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島根県の海士町(下)「県外留学生」が半数、
企業戦士が担う離島の未来

島根県の海士町(下) 「県外留学生」が半数、企業戦士が担う離島の未来

 前回「島根県の海士町(上)『ないものはない』若者が移り住み、離島を再生」から読む

 童謡『ふるさと』の歌詞を覚えているだろうか。島根県海士町では「志をはたして」の部分を、「志をはたしに」と言い換えて歌う。地方自治体の多くが産業を誘致して地域起こしをしようとしたのに対し、海士町は「島でしかできない教育」で注目を集めた。大人たちが手をつないで歌う『ふるさと』には、教育に対する地元関係者の並々ならぬ期待が詰まっている。

離島にSGH 半数は県外から「留学生」

 海士町の玄関口「菱浦港」から歩いて5分、町で最も賑わう中心街の一角に、全国的にも珍しい公立塾がある。西ノ島、中ノ島、知夫里島から成る島前3島で唯一の公立高校「隠岐島前高校」と連携した、「隠岐国学習センター」だ。

海士町にある公立塾「隠岐国学習センター」

 裏手の高台に建つのが隠岐島前高校で、有名大学の付属中学や中高一貫校とともに、2015年度(平成27年度)から、文部科学省のスーパーグローバルハイスクール(SGH)にも指定されている。全校生徒数は184人。うち約半数が県外からきた「島留学生」たちだ。島外の生徒は全員、寮生活を送っている。隠岐国学習センターには、この島留学生たちも通う。

 多忙のなか、センター長の豊田庄吾氏が塾の中を案内してくれた。玄関を入ってすぐの1階に、平日の午後1時から午後10時まで、誰でも利用できる交流スペースがある。木製の机と椅子が並び、土足のままくつろげるゆったりした空間が広がっている。いわば、島の「サードプレイス(第三の居場所)」だ。

 「Wi-Fi(ワイファイ)も完備していますから、ここでコーヒーやお茶を飲みながらパソコンを使って調べ物をすることもできます」。離れには畳敷きの和室もあり、豊田氏を含む地域の有志約10人が早朝、自主的に集まり、月に一度、海士町の未来を語り合う「あさあま」会議を開いている。

「竣工式で涙が止まらなかった」

隠岐国学習センターのセンター長、豊田庄吾氏

 「塾を開設したのは2010年7月。空き家を借りて、そこに机と椅子をかき集めて運び込んでのスタートでした」。生徒数が100人を超えるようになり、古民家を改修した現在の建物へと引っ越したのは2016年4月のこと。それまでの日々を思い出し、竣工式の日は、涙が溢れ出て止まらなかったという。

 「開設して最初の半年間は無料で塾を開放したのですが、初日、開始予定時刻の午後7時になっても誰も来なかった。午後8時になってようやく一人来たかと思ったら、こう言われました。『ぼくは自分の意思で来たわけじゃないですから。お母さんが行けって言うから来たんです。勘違いしないでください』」

 「いいからとにかく入れ」と促し、スタッフも交えて3人で語り合った。最初の半年間は1学年10名程度で、細々と授業を続けた。

 島根県内には、もともと大学受験に特化した進学塾や予備校は少ない。進路指導や受験指導は教員の仕事だという自負もあり、地元の人たちや学校関係者の間では当初、突然やってきたIターン者や塾という存在に対する不信感もあった。信頼関係を築くため、豊田氏は学校関係者と綿密に連絡をとり合い、英語の授業で教師が和訳を教えれば塾では英訳を教えるなど、授業の妨げにならないよう細心の注意を払った。

「給料半分でも来るか」と念押しされた

 海士町に来る以前、豊田氏は人材大手リクルートの関連会社を経て人材育成会社ウィル・シードに転職、企業人相手の研修講師を務めていた。最初にこの島を訪れたのは2008年9月、全国の自治体や学校を回る出前授業の講師として、だった。

 島ではその頃、「隠岐島前高校魅力化プロジェクト」が立ち上がろうとしていた。平成9年度から平成20年度までの間に、島前高校の入学者数は77名から半分以下の28名へと激減。教員数の削減に伴い物理を教える教師がいなくなってしまったために、理系の大学進学では著しく不利となり、島前の中学校に通う生徒の半数以上が島外の高校へ流出してしまう事態にもなっていた。

 廃校寸前の高校を救い、島外への人口流出に歯止めをかけたいと、町の担当課長や学校関係者らと一緒になって高校魅力化プロジェクトを推進していたのが元ソニーの社員で、初代隠岐島前高校魅力化コーディネーターの岩本悠氏だ。豊田氏はこの岩本氏に誘われて、移住を決意した。「給料は半分くらいになるけど、それでも来るか」と念押しされたという。

 「最初のうちは高校との連携や調整にかなりの労力と時間を要していました。昨年度の4月から高校の職員室に席を持てるようになり、状況はだいぶ変わりました」

 粘り強く関係性を築いた結果、高校の進路指導部で、担任教師と一緒になって進路検討会に参加することもできるようになった。受験を控えた高校3年生の指導をすり合わせるため、教師たちとは週に一度、ミーティングをしている。

島だからこそできる教育がある

公立塾には多くの本がそろえてある

 塾のスタッフはインターンも含めると12人で、全員が島外出身者だ。ベネッセやZ会に勤務していた講師もいる。「世間的な出世の概念からすれば外れた生き方かもしれないが」と断った上で、豊田氏はこの島で教えることのやりがいを、次のように説明した。

 「目的は島の担い手を育てること。同時に、地方から都市へと向かう人材の流れを逆流させたい。大げさに言えば、これは世間の価値観を反転させることにもつながります。高度経済成長時代の価値観や社会のあり方が限界を迎えるなか、最後尾と思われている島で、最先端の生き方・教育のあり方を模索しているつもりです」

 高校の魅力を発信する上では、大学進学率を上げていくことも大事な要素の1つだ。一方で、「東大・京大に合格させることが最終目的ではない」と、豊田氏は強調する。

 重要視しているのは「生徒の主体性を引き出し、生きる力を身につけさせ、変化の多い実社会に出て多様な仲間と協働できる人間を育てること」。その具体的な方法の1つが「夢ゼミ」だ。これは地域にある様々な課題を教育資源と捉え、島の人々との関わりあいを通じ、社会で必要な力を身につけるだけではなく、自然と郷土愛を育むことができることを狙った授業でもある。

 看護師になりたい子がいれば、町で働く看護師さんに会いに行かせ、インタビューさせる。漁師や農家を教室に呼び、島が直面する農業や漁業の課題を実感させ、一緒に考えさせる。最近は「トランプ氏が大統領になったら、海士町で何が起こるか」など世界で起こる様々な出来事と関連付けながら、自分たちの暮らしや課題がどう変わっていくのか、を考えさせる授業もしている。ここでは島全体が「教材」であり、島で働く人たち全員が「先生」なのだ。

東京なら月10万円のコース

日本海の隠岐諸島にある島根県海土町

 一次産業の担い手が減り、島の農家が困っていると知れば、生徒たちはボランティアで草刈りにも出かける。島外から来た子どもたちにしてみればそれも新鮮な体験であり、島の人たちと触れ合ういい機会になる。

 じつは、希望者をすべて受け入れれば、島留学生の割合はもっと高くなる。東京や大阪で説明会を開くと、毎回、保護者を含めて100人から150人が集まるという。県外生徒向けの高校推薦入試倍率は約2倍。保護者たちが安心して子どもたちを島へ預けられるのは高校自体の魅力もさることながら、ここに塾があることも大きいだろう。

 月謝は高校1、2年生が1万円。3年生は先の夢ゼミに加え、平日の午後7時半から午後10時まで週5日間の教科指導を受けて、月1万2000円だ。「東京なら、ゆうに月10万円はするコースだろう」という。

 「競争に乏しい」「多様な価値観に触れる機会が少ない」「人間関係が固定されがち」など、離島の教育環境はないないづくしだ。それでも、高校と塾が連携した結果、高校3年生の7割を大学進学させることに成功している。学力にはまだバラつきがあるものの、慶応義塾大学や早稲田大学など都内の一流私立に合格させた実績もある。存亡の危機にあった高校が県外からの生徒を集められるほどの人気校になったのは、奇跡的とも言える。

遠くに飛ばすほど勢いよく戻って来る

 学力向上に力を注ぐほど、大学進学などで地域を出た若者が戻って来なくなるジレンマに悩まされている地方は多い。この点に関して質問すると、豊田氏や町長の山内道雄氏を含む関係者全員がこう言った。

 「ブーメランと同じで、遠くに飛ばせば飛ばすほど勢いよく戻ってくる。中途半端に飛ばすのが、一番良くない」。その精神をよく表しているのが、島でことあるごとに歌われる『ふるさと』の替え歌だ。「志をはたし(に)いつの日にか帰らん」と替えて歌う部分に、いったん島を離れた若者が、島を再生する力を身につけて帰ってくる期待を込めているのだ。

隠岐島前教育魅力化コーディネーターの大野佳祐氏

 隠岐島前高校が「グローカル人財の育成」を目的としたスーパーグローバルハイスクールに名乗りをあげたのも、このような期待に基づく。岩本氏の後任で現職の隠岐島前教育魅力化コーディネーターの大野佳祐氏は、元早稲田大学の職員。大学ではSGHの大学版であるスーパーグローバルユニバーシティの申請も担当し、欧州ビジネススクールのコンソーシアムを作るなど、大学を国際化する業務にも取り組んだ。そうした経験を生かし、現在は海外から海士町への留学生を受け入れる支援などをしている。

 「島の動きはある意味では、東京よりもスピーディーです」と大野氏は言う。「権限のある人たちがすぐ近くにいるから、決裁をもらうために走り回る必要もない。余計なプロセスを省ける分、大組織と比較すると島の方が断然、仕事はやりやすい」。

 豊田氏をこの島へと誘った岩本氏は現在、島根県へ移り、海士町での成功事例を広めるべく、県の教育魅力化特命官として活躍中だ。出世街道を外れたはずの豊田氏には今、全国から講演依頼が殺到している。最近はICT(情報通信技術)を駆使し、大学でも授業をしています」と豊田氏。高校や塾への視察もひっきりなしだ。21世紀的出世の近道は案外、離島にこそあるのかもしれない。
(ライター 曲沼美恵)[日経電子版2017年5月4日付]

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