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[ liberal arts-大学生の常識 ]

又吉直樹、『劇場』を語る
「今の僕は負けから入る」

又吉直樹、『劇場』を語る「今の僕は負けから入る」

 芥川賞作家にしてお笑い芸人の又吉直樹さん(36)の小説第2作「劇場」(新潮社)が刊行された。同作が載った「新潮」4月号は文芸誌としては異例の5万部が完売するなど、単行本の発売前から注目を集めた。この作品に込めた思いなどを又吉さんに聞いた。

 「劇場」は無名の劇団で戯曲と演出を担当している「僕(永田)」を主人公とする長編小説。女優を目指して上京してきた「沙希」に街中で声をかけて知り合い、恋人となった彼女の部屋で暮らし始める。

 「演劇はもともと好きな表現ジャンル。ほかの設定も考えましたが、小説全体を考えると、演劇がぴったりだと思いました。東京に出て何か夢を抱いている人を思い浮かべたとき、書きたいと思ったのは劇作家でした。お芝居を作っている人たちが、どんな風景を見ているのか考えるのは楽しかった。(作中劇のような形で)小説に登場する演劇は若い頃にやって失敗したコントなどが基になっています」

「小説でもお笑いでも面白い場所を作りたい」と語る

 「僕は結婚もしてないし、恋愛はよく分かっていない。すごく難しいものやなと思います。基本的に人は好きですし、もちろん女性を好きになることはある。いろいろな人に話を聞いても、人間と人間が出会って関係を深めていくやり方はバラバラじゃないですか。そういうのも含めて面白い。性的な場面を描写する方法もあるとは思いますが、ああいう(直接は描写しないという)形になった。恥ずかしかったから書かなかったわけではありません」

感覚のズレ、生きづらさに

 「劇場」で自意識過剰の「僕」は理想と現実のギャップに苦しみ、嫉妬もあって周囲とあつれきを起こす。自己中心主義のダメ男を優しく受け止めていた「沙希」だったが、2人の関係は次第に変調をきたしていく。

 「2人は現代的な感覚とは違っているところが、生きづらさを感じる原因ではないですか。ただ、正しいかどうかは別にして、30年前、40年前だったら(自己本位の男性と支える女性という関係は)あったと思います。そうした生き方をしている人は(少なくなったが)今も確かにいる。だから意識して古風な女性を書こうと思ったわけではありません」

 「(愛読している)太宰治にはいろいろな短編があります。『ヴィヨンの妻』ではわりと女性が男性を支えるが、『きりぎりす』では女性が反撃しているところがある。男性がこうで女性がこうでという設定から入るというより、男女の日常の暮らしを描いていくなかで、コンプレックスなどで男性が示すわがままな部分や自己中心的な部分に、女性がどう対応するかを描いている。太宰作品の女性に関して、男性に都合良く描かれているといわれることもありますが、そういわれて傷つくのは当の女性だと思います。もっとも、僕が描くとき、太宰がああ書いているから自分もこうしようという意識はありません」

 「コントを作るときでも、むちゃくちゃヘンな人がいて、それをまっとうな人が問いただすというやり方より、ヘンな人に一見まともそうだが、実はヘンな人が関わっていくというやり方の方が面白い。前作は恋愛小説ではないですが、先輩・後輩という関係性の中から見えてきたものがありました」

 師弟関係を結んだ漫才師の交流を描いた小説第1作「火花」は2015年に第153回芥川賞を受賞、電子書籍を含めた累計発行部数は300万部を超えた。「劇場」は「火花」より前に書き始めていたが、一旦中断。1年前から執筆を再開して完成させた。

感情移入にパワー

長編小説第2作の「劇場」

 「『劇場』は結末を考えずに書いていたので、『永田』と『沙希』がどうなっていくのかがみえない。特に『永田』に対して『おまえ、大丈夫か』という視点が書いている僕の中にあって、いかに描くかに一番パワーを使いました。ただ、『永田』は徹底的に他者を認めないという人間ではなく、むしろ周りの能力の高さや魅力に気づいているからこそ苦しんでいて認めたくない。そこに感情移入していくのは大変やったんですけど、想像するとなるほどなと思う部分もありましたね」

 「僕自身、ねたみ、そねみとかを若いころに感じたことは一瞬あったと思うんですが、今は見ないようにしている。最初から負けるって決めた方が楽やなという思いがある。実際、僕なんかはダメなやつと思われていて、男女のことでも仕事でも『又吉だったら』と大目にみてくれる。それに対して『永田』は負けを認めず、勝っているとウソもつかず、一番筋肉を使う、しんどいやり方を選んでいる。こうしたタイプは嫌いではないです」

 「『火花』への反響はたくさんあって、だいたい褒めてくださる。中には自分で感じていない部分の指摘もあった。『劇場』を書くにあたっては、肯定的な声は生かし、批判された部分は修正しようとしました。最初に書いた(400字詰め原稿用紙)60枚ほどの原稿から、登場人物の職業を変えてみたり、わかりやすくしようとしたり、3回ぐらい書き直した。みんなの要望に応えようとしていたわけですが、ふと気づきました。自分はみんなに好かれている人間ではないと。吹っ切れたといいうか、気づいたというか。多少直しましたが、最初に書いたものでいこうと決めました」

 「火花」は漫才、「劇場」は演劇と、才能が問われる世界をともに舞台にしている。お笑いコンビ、ピースのボケ役として人気を集め、作家としても芥川賞を受賞している今、才能についてどう考えるのか。

面白さを求めて

 「芸人になろうと東京に出てきたのが18歳のときで、当時周りは自分には才能があると思ってきて集まってきた人ばかり。僕にはもともと二面性があって、『いける』という思いと『自分には無理』という思いがあった。『いける』という感覚は年々薄れていき、今の自分は負けから入っている。もちろん才能に関して悩むのはその人の自由であり、恋愛も一種の才能だと思います」

 「僕自身は世に出ることとか、芥川賞をとることは目標として掲げてこなかった。芸人としては面白いことを言いたい、小説を書かせてもらえるなら面白いことをやりたいというのが目的だった。今でも自分の能力に自信があるかと問われたら、自信はない。ただ、可能性を信じられなかったらやらない方がよい」

 「小説でもお笑いでも面白い場所を作るというのは自分にとっての第一意義。面白いというのは、笑えるとかだけではなく、複合的な瞬間だと思っています。その場に集まってくれた人が楽しんでくれたら僕にとってもうれしい」

 相方であるピースのツッコミ担当、綾部祐二さん(39)がニューヨークに拠点を移すため、コンビとしては活動休止となる。

 「僕のライブ活動は今まで通り。僕が作ったコントを集団で演じるといった試みも始めました。綾部はいつ帰ってくるか分からないが、ピース解散ということではない。彼の夢だったので相方として応援したい。2人で出ていた番組は3つぐらいは卒業したので、僕自身も新たな気持ちで取り組みます」

 「小説に関しては第3作を書きたいなとは思いますが、まだ書けていません。今後も小説は書いていくが、それがどういうものになるかは分からない。読むのは純文学といわれるものが好きですが、書く方はそれとは違うものになるかも。とらわれずに書いていきたいと思います」
(編集委員 中野稔)[日経電子版2017年5月8日付]

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