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憲法のトリセツ(15)教育権は国にあるのか、国民にあるのか

憲法のトリセツ(15) 教育権は国にあるのか、国民にあるのか

 前回は日本国憲法(現憲法)の施行70年に合わせて、安倍政権の改憲への思惑を解説しました。社会権に話を戻します。25条の生存権に加え、現憲法にはもうひとつ社会権に関する条文があります。26条の教育権です。

教育権は世界の常識

 教育は受けなくても直ちに死ぬわけではありません。でも、人間が単なる動物ではない理由を考えると、25条が言及する「文化」はその代表例です。そう考えると、「教育」も社会権の重要な一部です。

吉田茂内閣の文相で、のちに最高裁長官も務めた田中耕太郎

 2014年のノーベル平和賞にパキスタンのマララ・ユスフザイさんが選ばれました。17歳での受賞は史上最年少でした。女子が教育を受ける権利を命がけで主張したことが評価されました。このことからもわかるように、教育権の存在を否定する人は世界中にまずいません。でも、その中身をめぐり、さまざまな論争がなされてきました。

 算数の九九は誰が教えてもほぼ同じかもしれませんが、政治体制のあり方となるとどうしてもイデオロギーが絡みます。戦前の軍国教育への反省から、現憲法下では何を教えるかを国が定めることに強い反発がありました。

 この動きを主導したのは、現憲法を踏まえた教育基本法を制定した吉田茂内閣の文相で、のちに最高裁長官も務めた田中耕太郎氏(1890~1974)です。1952年に発表した論文『教育権の自然法的考察』で「教育権とは広義に解すれば、教育を受ける権利と教育をなす権利または権能を含む」と説きました。

 26条は単に子どもたちが学校に行く権利があるというだけでなく、どんな教育をするのかを決める権利が主権者にはあると定めているというわけです。以来、憲法学では教育を主導する権利はどこにあるのかで(1)国家に教育権がある(2)国民に教育権がある――の2説が争ってきました。

旭川事件、最高裁判決を読み直す

国が学校で学力テストを実施することについて、最高裁は合憲との判断を下した(1976年)

 国家教育権説を強く訴えたのは文部省(現文部科学省)であり、その後ろには自民党がついていました。国民教育権説は教育の現場にいる教師たちに支持され、それを日教組、さらに社会党が後押ししました。

 この両勢力が激突したのが、1961年に起きた旭川学力テスト事件です。そこに至るまでの文部省が教育への関与を強めていく過程は年表を見てください。

 日教組は全国統一の学力テストの実施は文科省が教育現場を統制する一歩と位置付け、絶対阻止の構えでした。北海道旭川市の永山中学では日教組のメンバーがテスト実施を妨害し、建造物侵入、公務執行妨害、暴行の罪で起訴されました。

 一審、二審とも建造物侵入は有罪としつつも、「学力テストは教育基本法の基本理念に反して違法であり、しかも、違法がはなはだ重大である」と判断し、公務執行妨害と暴行は無罪としました。

 しかし、最高裁は1976年、「国は教育内容について必要かつ相当と認められる範囲において決定する権能を有する」として二審判決を破棄し、被告人をすべての罪状で有罪とし、懲役刑に処しました。

 最高裁は、家永三郎東京教育大名誉教授が執筆した歴史教科書が偏向しているとして文部省の検定を通らなかったことに伴う一連の訴訟でも、国の関与を合憲としました。

国民教育権説は「左翼」?

 今回、旭川事件の最高裁判決をよく読み直したのですが、「憲法26条からは教育の内容および方法を誰が決定するかという問題に一定の結論は出てこない」と書いてありました。同時に教育基本法は他の法律に優先するとの立場も示しました。

 最高裁は国民教育権説そのものは必ずしも否定しなかったわけです。あくまでも学力の全国的な統一などの観点から国の一定の関与を認めただけだったということは留意しておいた方がよいと思います。

 ここまで読んで、国民教育権説=左翼と思い込んだ向きが多いと思います。実は近年、保守派の中から国民教育権説を強力に後押しする動きが出てきています。次回はその話を取り上げます。
(編集委員 大石格)[日経電子版2017年5月17日付]

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