若手リーダーたちと出会い横須賀出て新たなステージへ
「わたし」が生まれた、横須賀(7)
こんにちは、八村美璃(はちむら・みり)です! 前回の記事では、ヨコスカネイビーパーカー全国展開の打診を断ってから、たくさんのまちの人々を巻き込む自分たちのやり方で活動し、幕を閉じたことについてご紹介しました。今回は、「ヨコスカネイビーパーカー発案者・八村美璃」と、「大学生・八村美璃」の狭間で揺れる日々、新しいチャレンジの数々についてお話していきます。
地方創生は「自分創生」?
ネイビーパーカーの活動をきっかけとして、しあわせなことに、わたしたちの体験をシェアする機会がたくさん訪れました。市・県内外、小中高と、年齢の近い「同世代」としてメッセージを贈らせていただく経験や、大学連盟で先生方に向けてプレゼンテーションする経験も。どの機会も、毎回、緊張しました。でも、目の前にどんな立場、世代、地域の方がいても、どれだけの人数がいても、伝えたい相手の目と心に向けてマイクを握ることには、変わりありません。
即興でピアノを弾く方がいきいきしてしまうわたしは、言葉においてもそうでした。隣の誰かと一緒に収穫して、すぐ塩を振ったり、炒めたり、一緒に産地で美味しく食べる――。ピアノも、言葉も、聴き手の方に恵まれていたからこそ、為せるやり方です(笑)。大学に向かう長い電車の中は、自分の発した言葉を「今の自分」という鏡に写す、貴重な時間になっていきました。
そんな振り返りの中、かなりしっくりきた言葉が、「ネイビーパーカーはわたしにとって『自分創生』だ」という表現。近年、「地方創生」というキーワードで産官学様々な取り組みがスタートし、注目を集めています。こうした流れとタイミングが合ったことも、上で書いたような機会と巡り会えた要因でした。しかし、そこで話す度に感じたことは、わたしにとってネイビーパーカーは、「地方を創生しよう」と思って「横須賀のために」始めたのではなく、自分の感性に従って見つけた「もしも」を、「横須賀で」本物に変えていく過程だったということ。それは、初回の記事でご紹介した通り、自分の感性で、周りを巻き込むという、自分のスタイルに他なりませんでした。
だから、わたしの中では敢えて分野を分けることなく、ピアノも、演劇も、ネイビーパーカーも、全部同じ「もしも」を本物にするプロジェクトとして、ごく自然に捉えていたのです。「地方創生」や「まちおこし」という名の引き出しからネイビーパーカーを取り出してもらえることは、ある女の子たちが、どんな「もしも」を描き、どう本物に向かっていく人間だったのかを知ってもらう、大きなきっかけでした。そのきっかけが、誰かの、そして横須賀やどこかの創生に、ちょっぴり繋がってたらいいな...。そんな想いで、仲間と発信を続けました。
日本全国、25歳以下のリーダーたちとの出会い
ちょうどパーカー再販まで1ヶ月を控えた、19歳の秋。「G1カレッジ」という、日本の学生版ダボス会議のようなカンファレンスにへ参加することになったのです。その存在を知ったきっかけは、なんと、偶然の市長との再会。
「今日が生まれてから何日か知ってる?『生まれてから○○日目』はこう在りたい、そうやってビジョンを描い
てごらん」その言葉をきっかけに、締め切り3分前に選抜フォームのボタンを押しました。
見事、選抜に通って挑むことのできた2日間。少しでも自己紹介がしやすいようにと、馴染みのあのパーカーを着て行きました。目の前に広がった景色は、全国規模で活動実績がある学生、ニュースで観るような経済界・政界などの日本のトップリーダーの方々。「初めまして」を繰り返すたくさんの自己紹介と、今すぐ行動しようとする熱量で、会場は11月なのに蒸し熱い。心を直接揺さぶられたような、衝撃の2日間でした。
しかし、その場に知り合いが皆無だったわたしにとって更に衝撃だったのは、活動で名を挙げる学生たちは、既に違う機会で何度も顔を合わせていたり、既に繋がりが生まれているという事実。この会が全てではないと分かってはいたものの、250人もの参加者がいる中で、「日本を動かす若手リーダーは、この界隈」と感じさせる明らかな空気感に、ちょっとしたショックを感じました。
大半の人との会話が何分かに満たない自己紹介でおわる中、わたしが残せた印象はたぶん、横須賀か、パーカー。今思えば、そう覚えてもらえるだけでもまずは充分。でも、当時のわたしにとって、「横須賀とパーカーだけがわたしではないと伝えられるほど、自分自身を発揮できたのか?」という問いは、大きなお土産になっていました。
横須賀を出て、ネイビーパーカーを脱ぐ瞬間
色んな同世代が起業したり、団体やプロジェクトを立ち上げたり学問を極める中で、大半の学生が、自分の活動する分野・領域が定まっていることに驚いた、G1カレッジ。自分のやりたいことは、自らの感性で周りを巻き込む「自分創生」が出発点だったわたしにとって、「○○分野で生きていく!」というスタンスは、とても新鮮に写りました。大学の外ではひとつの分野で自分の道を明確にしていく同世代、中大に戻れば、将来就きたい職業に向かって法律の勉強に打ち込む、研究室の同世代とで板挟みになりました。
「それで、美璃はどうしていきたいの?」。またやって来た、自問自答。周りからの、純粋な疑問。 ネイビーパーカーの活動に幕を閉じてから、「これからの自分」について模索する日々が始まりました。時間割を埋め尽くす授業から帰り、横須賀では先輩方と「ヨコスカ未来100人会議」を企画。スターバックスや、掛け持ちしていたアパレルでのアルバイトを辞め、司法書士事務所や記事を書くアルバイトに就いてみたり、少しずつ挑戦を変化させていきます。新たな繋がりを得て、そこから得た新たな機会へと顔を出し、反響した想いを基に新しいアイデアをノートに整理.......。少しでも感性が震えたものに何でもぶつかってみて、想いの種のきっかけと出会えればと、がむしゃらに毎日と伴走していきました。
そうして進級した、大学2年生の春。わたしの元にやってきたのは、G1カレッジの運営メンバーにならないかというお誘い。活動拠点は都内。「もっと二兎も三兎も追うことになる」そんな確実な予感が、体いっぱいに充満します。大学から家路につく度に、横須賀の匂い、人や街のカタチに、やっぱり「好き」がこみ上げてくる。だからこそ、今行く必要があるのだと、覚悟を決めました。
「一人暮らしを始めよう。」
母のホームグラウンドである横須賀を出て、父のホームグラウンドである多摩に移ったのは、生まれてから7295日の出来事。ハタチの誕生日からちょうど10日前。引き出しに隠れた多くの未だ見ぬ「もしも」を信じて、実家の引き出しにパーカーをそっと置いていったのでした。
次回も、お楽しみに......!
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